ところが、金日成の最側近である武力部長の呉振宇の権力に阻止されて2人者に留まることになるや、呉振宇を無力化させる目的で金正日と野合して軍政治委員制度の廃止を主張するようになる。その理由は、北韓軍内の上位監視権力である政治委員が全員金日成の側近たちだったからだ。1966年、民族保衛相兼副主席だった金昌奉の武力クーデターにやられそうだった金日成は、軍の指揮系統の二元化を積極的に推進し結局、政治委員制度を強化しながら自分の側近たちで固めたのだ。 そうでなくても金正日の過度な権力世襲が呉克烈を通じて軍部まで掌握しようとすることに不安感を感じた金日成は、これを契機に呉振宇をはじめ軍内の側近たちを前面に出して呉克烈を総参謀長職から解任するようにした。しかし、金正日は翌年の1989年に呉克烈を自分が管掌する党組織部の傘下部署である作戦部長に任命し党の中に引き込んだ。金正日は崔龍海も党組織部の高位職に育てる。 まず、他のパルチザン出身の子供は中央党に補職しないように制限しながら、崔賢の二人の息子、つまり兄の崔龍テクと弟の崔龍海だけは中央党組織部の核心部署に補職した。理由は金正日の権力世襲過程に崔賢が大きい功績を上げたためだ。金正日の党組織秘書任命と関連した党政治局会議で多数の幹部が集団反発するや崔賢が拳銃を抜いて射殺すると暴れたエピソードは北韓内でも広く知られている。金正日は崔龍海の地位を上げるために党組織部の青年指導事業課長を務めさせてから社会主義労働青年同盟(「社労青」)中央委員長に任命する。 北韓の権力家たちは金正日に対するように崔龍海の前でへつらうほど彼の政治的パワーは強かった。崔龍海は金正日の信任を背景に、平壌側がソウルオリンピックに対抗して開催した第13次世界青年学生祝典を総指揮するようになる。その業績を根拠として党組織部の副部長に任命されようとしていた所、当時党組織部の第1副部長だった李済剛の指示で国家保衛部が「社労青」中央本部の不正を捜査する。捜査の焦点は不正と道徳的腐敗だった。 「社労青」傘下の外貨稼ぎ機関である銀星貿易管理局の李炳徐局長の不正で始まった捜査は崔龍海にまで拡大し、家宅捜索で米貨300万ドルが発見された。すると南韓の国家安全企画部から貰った資金だという膨らませた資料が金正日に報告され、公式的な党組織部の検閲組が構成されて崔龍海以下「社労青」の全幹部が職務停止され、調査を受けることになった。党組織部の検閲総和で提起された崔龍海の罪状は途轍もなかった。 北韓の全青年を率いる中央機関の首長として、全国各地から美女たちを選んで「喜ばせ組」を運営し、毎週一度の割合で平壌市万景台区域にある「社労青」傘下の「トラジ(桔梗)ホテル」でセックスパーティーを楽しんだ。甚だしくは性的趣向を満足させるために青年同盟協奏団の美女6人には一人当り3600ドルを与えて入れ歯をするように強要もした。言わば、金正日の腐敗と堕落を模倣した北韓内2人者の権力の饗宴だったわけだ。家宅捜索から出た米貨幣300万ドルも崔龍海が「社労青」はもちろん、あらゆる権力利権を利用して集めた賄賂だった。 |