金正日体制の安定度 洪熒・佐藤勝巳 (2011.6.14) 佐藤 金正日が、5月20日から27日まで訪中しました。今回もまた「恒例化」したあの大名行列の列車旅行でしたが、延べ5000キロ以上ですから中国側は警備などで大変なはずです。中朝両方は、いったい何を考えてあんなことを今やっているのでしょうか。 介護人が常時必要 洪 金正日は2000年以降7回も訪中し、今回と似た視察・遊覧コースを列車で何度も旅行しました。父・金日成の真似かも知れません。内外のメディアの報道では、あれだけ長い旅行ができたのは金正日の健康が回復し、北の内部状況も安定している証拠だ、などの解説もありました。 ご指摘の通り金正日の「恒例化」した中国列車旅行は、いわゆる「中朝関係の特殊性や親密さ」の象徴のように言われがちですが、私はこういう列車豪遊こそ、金正日と共産独裁体制の前近代性と中朝関係の不健全さを物語っていると見ています。 いずれにせよ、去年の天安艦テロ攻撃以後3回も訪中とは尋常でありません。そして今回の訪中では、金正日体制の問題点が非常に分かりやすい形で現れたような気がします。そのヒントが“金玉”のさりげない登場、いや彼女の存在と役割の誇示です。 金正日の列車豪遊に女性同伴は付きものですが、今までは公にしませんでした。だが今回は同伴女性が金正日の車にも同乗し、そして中国側が設けた公式晩餐会ではファーストレディー並みの待遇です。金玉の存在と役割は、北の内部では決して人民にまでは知られて欲しくない問題の筈です。 佐藤 確かに、今度の金玉の存在と役割の誇示は注目に値します。絶対権力者のすぐそばに座れるのは、いろんな情況によって違ってきますが、普通なら奥さんか序列第2位の人物です。ただ、安全のための警護責任者や、公式会談での通訳や秘書、病人なら主治医や介護人はすぐそばで世話をします。金玉の今度の登場は、どうも介護人としての役割と北の内部の複雑極まりない政治的事情が反映されているような気がします。今の北朝鮮が政治的にそれなりに安定しているという大方の見方は、まったく間違っています。 洪 金日成死亡の後、金正日では体制維持は難しいという予想が支配的でしたが、現実には体制を維持しています。だから、金氏王朝の体制不安定説には二度と騙されるまい、というのが多くの専門家の気持なのかも知れません。同時に、「現状固定」を望む北の特権階層が、特権を維持するために、金正恩への順調な権力承継を意図的に流している可能性があります。 情勢の変化 佐藤 内外の情勢は目まぐるしく変わっています。この変化をどう捉えるかです。金正日は先月の中国訪問で、今までかたくなに拒否していた「6者協議」の再開に同意しました。ところが、中国から帰ってから南北間の秘密接触を突然暴露し、李明博政権を激しく非難します(6月1日)。 中国のもくろみは、天安艦爆沈と延坪島砲撃がもたらした「日韓米の結束」を崩すため「6者協議」を再開し、その前提として、南北関係の緩和を推進しようとしていた筈です。南北の秘密接触(5月9日)は北京で行なわれたのですから、中国は知らないはずがありません。それを金正日が暴露して、つぶしにかかっているのです。この豹変は中国への不満なのか、平壌政権内での権力争いの結果なのか、極めて注目される現象です。 0.1パーセントの富裕層 洪 長い間北を観察してきた専門家、特に北の軍を観察研究した専門家によりますと、いま北で何の不足なしに贅沢な生活のできる人口は最上層の2、3万人だそうです。つまり人口の0.1パーセントは中国の中流以上の生活ができ、残りの99パーセントは体制に依存することなく、独自に生活の糧を手にしているということです。 つまり金正日・金正恩が物質的に世話できるのは2、3万人にしか過ぎないため、最上部の0.1パーセントを含めて国全体の統制が利かなくなってきています。だから、北の住民は警察(人民保安部)の言うことをきかなくなり、特に餓えている軍人たちを抑えられずに治安が悪化しています。そのため、今年(2011年)3月に、その責任を問われて周相成人民保安部長が解任され、「国防委員会」行政局長の李明洙(「人民軍総参謀部」の作戦局長出身)が後任に充てられました。 また、軍隊でも、軍を取り締まる総政治局長のポストが趙明録の死亡(2010年11月)後、未だ後任が発表されていません。軍は核ミサイルを持ったものの、食糧をはじめとするあらゆる補給が途絶えています。そのため末端の兵士は栄養失調になり、部隊の士気は落ち、敗北主義に陥っています。これらの回復は、金正恩を取り巻く将軍たちの急務であり、こうした現状が、金正恩時代を担う「新軍部」が対南挑発に走る背景と見られます。 佐藤 コップの中に水と油を入れると、水より軽い油が水と分離されて浮きます。平壌居住者を含むその油の部分がそもそも北の「核心階層」でした。ところが、この「核心階層」にも配給が届かなくなり、今や市場勢力の成長で9割以上の水の部分は、油と関係ない世界で生存しているということですね。金正日政治の核心をなす軍にも食糧が行きわたらないで、総政治局長人事も決まらないということは“安定”などとは程遠い状態ですね。 南北秘密接触の暴露 洪 金正日体制が安定どころでない証拠が、6月1日の「国防委員会」による南北秘密接触(5月9日)の一方的な暴露です。そもそも「唯一指導体系」の個人独裁では南韓との秘密接触を進めるのも、また、それを中止、暴露するのも金正日の批准(サイン)が絶対必要です。 周知の通り、北側は金日成時代から労働党の統一戦線事業部がその対南工作の戦略戦術全般のコントロールタワーとして「首領」を補佐してきました。 それが2009年に人民軍に「偵察総局」ができてからは、統一戦線部が南北関係においての企画統制機能を失っています。金正日が健康なら偵察総局をコントロールできたでしょうが、病床にあって3男に権力移譲を急ぐ状況では、先軍後継体制の前で統一戦線部が無力になるのも当然です。 天安艦撃沈と延坪島砲撃、そして南北秘密接触の暴露は、金正恩後継を支える「新軍部」の、従来の統一戦線部(のやり方)への不信や不満の爆発という側面もあるでしょう。現に、既に金正日には南北首脳会談のための気力などありません。だから、略奪に頼ってしか生きようのない「パルチザン伝統」に忠実な偵察総局や「新軍部」は、力で南韓を脅かし屈服させようとします。問題はソウル(李明博政権や親北左派)が、こういう事情を分かっていないことです。 この時期に、介護人(金玉)に支えられての5000キロの大名旅行を通じて金正日は、判断力が機能しない病気の老人、裸の王様であることを、みずから行動で示しました。そもそも今回の訪中は病気の老人の気分転換の目的から始まったのではないでしょうか。 極端な個人独裁の唯一指導体制で、その「首領の脳髄」の機能不全がどういう結果を招くかが危機管理の次元で注目すべき点です。 市場経済にあくまでも抵抗する金正日 佐藤 金正日を支えてきた側近達は、正恩時代が来れば現職に止まれない。現に金正日と一緒に記念写真に写っていた軍幹部達の顔ぶれが大幅に変わってきています。内部で世代交代(権力交代)を進めつつ、逆に独裁体制を維持し、2、3万人が身を守るという政治力学が働くことは軽視出来ない問題だと思います。 しかし、金正日に権力が世襲された時と決定的に違うのは、国内外の安定度です。もちろん、今の北が直面している苦境は金正日自身が招いたものです。洪さんと私の対談で今まで何度も指摘したことですが、住民の90パーセントが“市場”を利用し生きて15年以上経過しています。実態として、初歩的な市場経済化が進行しつつあります。あれを「力」で押さえつけることは多分無理かと思われます。言葉を替えて言うなら、北朝鮮は中国経済圏に既に組み込まれているということです。 洪 人民は生存闘争を通じて市場経済を体得しているのに、金正日と労働党は依然として「黄金坪特区」だの、「羅先特区」だのと、他人のものをただで貰う工夫ばかりの机上の空論に終始しています。新義州が毎年ちょっとした雨にも浸水するというのに、あの中洲(なかす)でどうするというのか。丹東地域の開発もまだ完了していない中国が、ライバルの経済特区などを本気で支援するでしょうか。 政治的に不安で経済論理が機能しない所に投資することなどあり得ません。中国が「羅先」地域に持つ関心は経済だけでありません。表に出しているのは経済ですが、裏は軍事です。 安い安全保障費 佐藤 いまひとつは中国の動向です。北のトップが中国の言うことを聞く限り、面倒を見るというのは、中国共産党としては、北の独裁体制が崩壊し、自由民主主義が中国と国境を接する事態だけは何としてでも阻止する戦略です。そうでなかったらこのご時勢に、中国領土内5000キロを“金玉”との「新婚旅行」まがいに汽車で走るなど馬鹿馬鹿しいわがままを認めるはずがありません。中国の安全保障費と考えているからです。それなら安いものです。 洪 中国としても金正日の豪遊は気まずく、国際社会に対して恥ずかしいかも知れませんが、中国が描く戦略に金正日を利用できれば、実用的な対応として合理化できる筈です。しかも、もしかしたら今回は、金正日が生きているうちの最後の訪問になるかも知れません。でも、中国共産党の実用的な寛大な待遇こそが、金正日を窮地に追い込む結果になるかも知れません。 金正日の説明責任 洪 つまり、金正日は世界に向けて、少なくとも北の人民に向けて死ぬ前に、今まで「わが民族同士」を闡明(せんめい)しながら、なぜ韓国政府との対話を拒否し、頻繁に中国に物乞いに出向いたか、また国内では今まで決して公にしなかった「妻」を中国で先に公開したかという事情を説明する責任があります。金正日の女性パートナーは、本来ならば北の国の「オモニ(お母さん)」の筈だからです。 金玉同伴の意味 洪 話を戻しますと、なぜ金玉を中国に公式同行させたのかということですが、金玉こそ今のところ平壌の複雑な事情を解くに欠かせない存在と見るべきです。平壌の権力地図は、金正恩が後継者として登場する過程で激変しました。金正日の旧友とも言われた呉克烈などが第2線へ後退し、組織指導部の李済剛第1副部長が「交通事故」で殺されるなどありましたが、誰々が銃殺されたとか、北からの血なまぐさい消息はこれからも続く筈です。 今のところ、金敬姫(金日成の長女)大将を頂点にする「白頭山筋」が、金正恩の後継構築を支えるという態勢です。これまで粛清された幹部らはこの構図に抵抗したか邪魔になると見なされた者です。金玉が病弱な金正日を介護しながら金敬姫を支える役割を自任したとすれば、今回の訪中での彼女の行動は説明がつきます。 佐藤 独裁者が権力を肉親に譲るとき、側近達の権力争いが起きるのは当然です。金日成から金正日の世襲のときも起きました。今、同じことが進行している、ということなのですが、独裁政権の側近達にとっては死活問題なのです。 要するに金正日の数多くの女の中で、金玉が最終的に金正日のパートナーになり、後継問題まで絡んだ。だから、金正日は金玉を同伴し、金正恩の真の後見勢力である中国共産党指導部に挨拶披露したと解釈できますね。 いずれにせよ、諸悪の根源である中国共産党が支える限り、金氏王朝の暴圧体制の本質は何も変わらず、独裁体制の暴走は続くということです。 新しいテロリズム 洪 この中朝の独裁同盟の挑戦に直面している当事者の韓米同盟と日本は、北の非常に不安定な末期的状況をどう管理、対処すべきかが問題です。特に金正恩の取り巻きの「新軍部」の権力基盤の不安定さが、これから対南挑発を激化させるのでは、と予測されます。 北のこれからの対南挑発はいろんなことが考えられますが、後見人である中国の立場などを勘案すると、原爆の追加実験よりはサイバー攻撃を加えたテロの可能性を警戒すべきだと思います。特に北側はここ数年、韓国に対し大胆なサイバー攻撃を繰り返しています。 最近、米国防部がアメリカの国家基盤システムなどへの国家的意思によるサイバー攻撃は戦争行為と見なして軍事力で即時報復すると表明しました。これは、戦場が従来の陸・海・空から宇宙へ、そしてサイバー空間に拡大したのを反映しての対応です。つまり、高度の産業インフラを整え、金融やサービス業などが発達した先進国ほど、北のような大規模のサイバー部隊を持つ後進的敵対勢力の攻撃にもろいためです。アメリカの新しい戦略は、同盟国へのサイバー攻撃に対しても当然即時報復になると思います。 こういう安保脅威が増しているにもかかわらず、韓米連合軍司令部を2015年までに解体するという韓国の国防政策はどう考えても愚かです。 佐藤 金正日の死と金正恩への権力世襲は単なる権力の承継ではありません。東アジアの「平和と安定」への重大な挑戦です。そう捉えなければならないのに、わが国の政治は内向きに終始、権力闘争に明け暮れています。金正日が拉致を認めているのに取り返すことが出来ないでいます。本当に情けない話です。日韓には、アジアに残されている前近代性と独裁を打破すべき責務があると思います。 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