現代コリア

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「ごっこ政治」の体たらく
岡林弘志
(2011.6.13)
    

 

    政治のごたごたが目に余る。東日本大地震から三カ月が過ぎた。いまだに行方不明者は8千人を超え、避難者は9万人近く……。被災者が日々の暮らしにあえいでいる現状と永田町とのあまりの落差に愕然とする。この国の国会議員は、選ばれたことの責任の重さを感じていないようだ。

 

    難破の最中に船長を変える

    ものごとを例えで見るとわかりやすいことがある。

    いま「日本丸」は、大暴風雨に会い、船体の一部は大きく破損し、原子力を使ったエンジンは爆発し、放射能を撒き散らしている。そんな時、船長を引きずりおろしにかかっている。その船長も自ら辞めると言った以上、威令は行き届かない。ただ、辞めろと息巻いた方も次の船長をだれにするか決めていない。船は当面の修復も進まず、目的地である「復興」港の方向も見失ったまま迷走を続けている。

 

    政治のごたごたが止まらない。こんな時、どうして政争などしていることができるのか。国民の多くは怒りを通り越して、あきれている。政治のみっともない体たらくをわかっていないのは政治家だけだ。

 

    なぜ、こんなことに。国会議員は国家運営に全責任を負っている。まして未曽有の大危機に際しては、国民の生命と生活を守りために死力を尽くす。ごく当たり前の政治家としての自覚すら持っていないのか。

 

    菅首相は市民運動家の発想

    菅直人首相は、市民運動のリーダーとしては有能だったのだろう。これまでの国会活動を見ていると、責めるは鋭く、守りに弱い。首相になったら、異議申し立てはされる方だ。1億2千万の民の頂点として、展望を示し、全身全霊をもってこの国を引っ張っていく責任がある。

 

    しかし、菅は識者や学者の気のきいた意見に左右され、思いつきの政策、対策を打ち出し、思うようにいかないと、というよりそんな付け焼刃が通るはずもないのだが、癇癪を起して周りをどなり散らす。首相とは何かの経綸、そして訓練を全くしてこなかったようだ。

 

    それに首相たる者、いったん辞意を口にしたら死に体同然。これはどの世界でも同じ。辞意表明時に担保として成立させるべき予算案、法案を明示すべきだった。そして、その目標を達成したら潔く身を引く。それしかない。それなのに、原発処理、避難民救済のめどがついたらなどと、時期をぼかし、首相の椅子にしがみつく。醜態でしかない。

 

    与党が政争の大本とは

    菅が首相としての資質に欠けているのは間違いない。しかし、この首相はまずは民主党が選んだ指導者である。党内から辞めろとは異常だ。しかも、言い出しっぺは政治資金で疑惑をもたれて幹事長を自ら辞めた小沢一郎と、首相としてあまりに幼く無責任だった鳩山由紀夫の二人だ。

 

    鳩山は普天間基地の移転先を「少なくとも県外」と公約して総選挙に大勝した。にもかかわらず、後になって「抑止力のことは知らなかった」「方便だった」と言って、国民をペテンにかけたことを認めた。そんな人が、先の不信任騒ぎのときに「首相はペテン師だ」とそしる。何をかいわんやである。

 

    この人には政治家としての自覚が全くない。言葉の重さもわからなければ、責任をとるという意味もわからない。政治家三世で金持ちのお坊ちゃんが他の道楽より政治の方がおもしろそうだと、カネをばらまいて政党を作り、首相にまでなってしまった。

 

    小沢一郎は、剛腕といわれているが、不信任案賛成を小沢チルドレンにそそのかしておいて、いざ本番の衆院本会議は逃げてしまった。この人は後ろに、田中角栄、金丸信、竹下登るがいた時は、確かに剛腕を振るった。しかし、その後は政界を混乱させただけではないか。

 

    原発事故は自民党にも責任

    一方の野党の方はというと、自民党は、菅内閣不信任案を出したが、大差で否決された。小沢一派が賛成するという情報に振り回されて、野党にとっての「伝家の宝刀」を抜いて見せたが、なんと「竹光」だった。

 

    多くの国民は、自民党は野党といえども、政府と協力して被害救済と復興に働いてほしいと思っている。とくに原発事故に関しては、不確かな安全基準のまま原子力政策を推進してきた責任がある。その反省もなしに、非難ばかり。重箱の隅を突っつくような質問ばかりしている。

 

    しかも、安部晋三元首相は「真実は一つ」と、福島原発1号機への海水注入中断を菅の指示と大声で追及し、辞めるべき理由の第一に挙げた。しかし、のちに海水注入は中断していないと判明した。情報は東電側から流されたといわれるが、要するにニセ情報だった。安部はメルマガで「うーん、解らない」とつぶやくが無責任極まりない。

 

    背景には、電力業界の焦りがある。菅が浜岡原発稼働停止を宣言し、発電と送電の分離も口にした。また、原発による電源を50%に伸ばすというエネルギー基本計画の見直しも明言した。

 

    いまの電力会社にとってはまさに存亡の危機である。電力独占体制が崩れる。こうした危機感が長年にわたって強い関係のある自民党に反映され、菅降ろしを画策したとなれば謀略である。電力会社に楯つくものは許せないというおごりも見える。

 

    「大連立」も混迷の続き

    ここまで来てしまった政治をどうするか。

    不信任案騒ぎの後は「大連立」である。自民、民主の間で個人的なやり取りをしているようだ。確かに、一つの手ではあるが、うまくいくのか。むしろ、さらに迷走する可能性の方が強い。

 

    大連立という荒業をこなすには、それぞれの政党に牽引力のある人材が不可欠だ。ところが、自民、民主にもそんな人物は見当たらない。こんな状態で連立を決めても、各党内で異論が出てごたごたは止まない。

 

    それに大連立は、大震災直後にこそ意味があった。災害救済にはスピードが必要だったからだ。しかし、これからは災害救済・復興資金の財源にかかわる増税などが課題になる。大連立が密室で決めて、国会を素通りというのは、危なっかしい。エネルギー基本計画の転換なども与野党が国会の場で議論する必要がある。

 

    ここ数日、マスコミは次期首相の候補者名をあげて騒いでいる。いずれも帯に短いのは当然、襷にも短いといった顔触ればかりだ。菅が居直る最大の理由だ。次を決めずに、早く辞めろと言っても迫力がない。展望が開けないまま、政争だけを繰り返し、災害対策に注ぐべき時間と精力が浪費される。「ごっこ政治」と名付けるゆえんである。

 

    「利益誘導政治」で人材枯渇

    どうしてこんなことに。結果論だが、世界を驚かせたこの国の経済の復興・成長が政治家を堕落させた。経済成長の中で、政策は官僚が先進国を参考につくり出し、政治家は増え続ける税金の配分にだけ心していればよかった。

 

    それも、票とカネを出してくれる特定の業界や地元に対する利益誘導を通じてである。これが国会議員の最大の仕事になってしまった。それを仕組みにまで整えたのが、田中角栄である。自らの派閥を族議員の百貨店と称し、ひたすら陳情政治を奨励した。

 

    さらには、頭数をそろえるため、当選第一でタレント議員、世襲議員を量産した。選挙運動では、政策をまじめに訴えるより、数万人と握手し、土下座をし、名前を連呼して走り回る。志はむしろ邪魔だった。

 

    大衆に媚び、大衆の低次元の心情をくすぐる「大衆迎合政治」の始まりだ。ばらまき政治はその延長線上にある。ちなみに、こんな選挙を先の参院選挙でやったのが小沢一郎だ。

 

    恥も外聞もなくひたすら票集めに走り回る政治家志望が多く当選し、ここ十年以上にわたって、政界の中枢を占めている。そして既得権益の死守、自己保身、次の選挙での当選第一が政治と勘違いしてきた。

 

    「天下国家・国民」は二の次三の次でしかない。こんなことで、拉致被害者の救助や領土問題、沖縄の基地負担の軽減など、うまくいくはずがない。国家は国民の生命と財産を守るためにあるという使命感が政治家に薄い。

 

    平成になって首相が16人

    平成になって23年。この間、竹下登から16人が首相になった。このうち小泉純一郎が5年ほどやったから、後は平均すると一人1年2カ月ほどか。人材の浪費、というより既に首相たるべき人材がいなかったための「大量生産、大量消費」である。

 

    例え、一流会社でもこれだけ社長が代われば、人材は枯渇する。政界は人材払底の極にある。首相になるべき経綸のある人材が居なくなって久しい。これが、現在の混迷の大きな原因だ。まして、これだけの国難を乗り切れる人材は見当たらない。

 

    「選良」の自覚もない

    「国民はその程度以上の政治を持つことはできない」

    よく言われる。こうした政治家を選んだのは、言うまでもなく有権者だ。しかし、選ばれた方には選ばれたことの責任がある。「選良」とはそういうことを言う。そのために、高い報酬をもらい、名誉を授けられ、多くの特権が認められている。

 

    しかし、まだ選挙まで間があるいまでは、政治家に自覚を求めてもむなしい感じがする。閉塞状況とは、こういうことを言うのだろう。

 

    情けない政治の現状に業を煮やす国民の中には、総選挙をやって議員を総とっかえしろ、8百人ほどの国会議員の中からこの国のリーダーを選ぶのは無理、大統領制にすれば、あらゆる分野の人材が立候補できるし、それを国民が直接選ぶことができる……など様々な意見が出ている。うっぷんはよくわかるが、直ちに実現できることではない。

 

    現状をみるに、次の首相も試行錯誤によって難局を乗り切るしかない。多くの国民は、この国が敗戦に次ぐ「第二の国難」にぶち当たっていると危機感を持ち、それぞれができる範囲のことをやり、乗り切ろうと努力している。少なくともこのくらいの自覚は共有してほしい。

 

    災害救助と復興のために何をすべきか。与野党の間にさしたる差があるとは思えない。メンツや恨みを掻き立てて政争にうつつを抜かしている時ではない。多くの国民は政治家にさして難しいことを求めているわけではない。この国難を乗り越えるため、できるだけ政治家が力を合わせて、事にあたってほしいと言っているのである。

 

    国民が声を上げるしかないか

    といっても、むなしいか。いまは、どんなことでもいいから国民が、とくに地震・津波、原発事故の被災者が声をあげて、政治家に言うことを聴かせるしかない。陳情でもデモでもインターネットなどあらゆる手段を行使して。

 

    そして、こんな体たらくでは次の選挙で落とすよ、と脅すのも一つの方法だ。そんなことしか言えない現状が情けない。