1986年、国家開発長官のテチンワンが収賄嫌疑で調査を受けるようになった。テチンワンは無実を主張しながら李光耀首相を単独面談したがった。李光耀は捜査が終るまでは会わないと断った。その数日後テ長官は遺書を残して自殺した。遺書はこう書いてあった。 「名誉を尊重する東洋の紳士として私は私の誤りに対して最も高い代価を払わねばならないと思います」 遺族たちは弔問に来た李首相に、故人の名誉のため司法解剖だけはしないようとお願いした。李首相は司法解剖をしないためには自然死したという医師の死亡診断書が必要だと答えた。医師はテ長官が毒薬を飲んで自殺したという所見書を出した。これが議会で問題になって遺族たちはもっと苦境に立たれ、結局シンガポールを離れざるを得なくなった。 李光耀首相は、高位公職者が企業の役員より給料が低いと賄賂の誘惑に露出されると判断した。彼は公務員の給料を民間レベルまで上げることに努力した。彼は高位公職者が名誉と使命感だけで窮する人生活に耐えるように強いるのは非現実的だと考えた。そうしたら人材が公務員社会に来ない。 1995年に李光耀前首相の夫人と息子が不動産を5~6%割引で買ったのが問題になった。不動産開発業者が販促用として他の知人たちにもその割引率を適用したことが政府調査で明らかになった。この開発会社には李光耀の弟が非常任理事として登載されていたため悪い噂が回った。李光耀夫人は潔白が証明された後割引を受けた100万シンガポール・ドルを政府に寄贈した。政府はこういう金を受け取る法的根拠がないと返した。夫人はこのお金を慈善団体に寄贈した。 指導者の決心、厳罰主義、公務員待遇の改善、捜査機関の独立性、清潔な選挙などが総合的に機能してシンガポールをアジアの腐敗の輪から抜け出すようにした。 一方、中国やベトナム共産主義者らは結局腐敗の沼に溺れた。中国は「文化大革命」から腐敗が悪化し、ベトナムは開放時代から公職者が腐り始めた。絶対権力と貧困は腐敗の温床だ。清貧とは嘘であり偽善だ。 李光耀は1997年東アジアを襲った金融危機の時シンガポールが健在だった理由を腐敗清算のお陰だと言った。韓国やインドネシアなど腐敗した国々は危機対処能力を喪失したが、シンガポールは公職者が私心のない客観的立場で政策を施行し危機を予想して危機の素地を残さなかったとのことだ。 |