子ども思いか疑り深いのか 岡林弘志 (2011.4.13) 北朝鮮の金正日総書記の後継体制づくりは、着々と進んでいるようだが、息子の金正恩・労働党軍事員会副委員長に権力中枢の実権を渡すにはまだ時間がかかりそうだ。さきの最高人民会議では、金正恩の中枢機関の要職に就くかが注目されたが、そうした人事は行われなかったようだ。やはり、金正日の頭には実権を失うことの恐ろしさがあるからだろう。 正恩の昇格は見送り 後継体制づくりで注目された最高人民会議の第12期第4回会議(4・7)には、金正日・正恩親子は姿を見せず、正恩にかかわる人事は議題にならなかった。 日韓のメディアが注目したのは、国防委員会第一副委員長のポストである。国防委員会は国家運営の最重要機関であり、金正恩がこのポストに就任すれば、名実ともにナンバー2に就くことになり、後継体制は大きく進むからだ。 しかも、金正日の腹心で第一副委員長だった趙明録は昨年死亡し、このポストは空席になっている。そこへ後継者を据えたとしてもさほど不自然ではない。しかし、金正恩の名前は出なかった。 ナンバー2にするには時期尚早と判断したのだろう。理由はいくつかあるだろうが、一つは金正恩に実権を譲る環境ができていないことだ。 金正恩は、昨年9月末、公の場に登場し、金正日の現地指導に同行するなど、後継者であることを印象付けてきた。しかし、金日成の若いころにそっくりという以外は、人民に後継者としての存在を印象付ける公の言動や功績はない。 世襲のための功績作りは難しい 09年11月のデノミは、統制経済の復活をも目的にしたもので、金正恩の手柄にするためという情報もあったが、かえって住民の強い反発を受け、正恩の名前を出すことはできなかった。 むしろ失敗をつくろうために、昨年には直接の責任者である朴南基・党計画財政部長を処刑した。さらに、6月には文一峰・財政相(当時)も処刑されていたことが最近わかった(4・4朝鮮日報)。 ちなみに、これと同時期に金容三・鉄道相(当時)も処刑された。04年4月に中国から帰国した金正日の特別列車が通過した後、龍川駅で大爆発が起きた責任を取らされた。鉄道相が通過時間をテロ犯に漏らしたという容疑だという。 話を元に戻すと、北朝鮮の財政・経済の根幹にかかわる政策の決定は、独裁者のサインがなくして実行することはあり得ない。しかし、失政になった場合の責任は現場に押し付け、トカゲのしっぽ切りをするのが常套手段だ。 デノミについては、住民のあまりの反発に責任者2人の死刑をせざるを得なかった。放置しておけば、誰の指示でデノミをやったのか、住民による犯人探しが始まり、権力世襲の大きな障害になる。 また、昨年の韓国哨戒艦撃沈事件、延坪島砲撃も、金正恩の指導によるという情報がある。しかし、これに対して米韓が強い非難を繰り返しており、関係者の処罰を求める声もある。 北朝鮮にとっては大きな成果だったはずだが、金正恩の手柄と大々的に宣伝をすると、あとで引っ込みがつかなくなる恐れがある。したがって、金正恩の功績にするわけにはいかない。実績作りは難航しているようだ。 また、国家機関の要職への就任は当然それなりの責任が伴う。いまの北朝鮮の経済の混迷、国際的な孤立が続く限り、民生経済の立て直し、人民の食を十分に解決するのは極めて困難だ。 金正恩が要職に就けば、責任者として人民の怨嗟の的になるだけだ。親心としては、もう少し事態が好転するのを待ちたい。しばらくは象徴的な後継者にしておいた方がいい。ということなら、親心が働いたとみることができる。 「自分の力で権力を手にした」 しかし、金正日のこれまでの足跡を見ると、むしろ息子に実権を渡せば、レイムダックになるのを恐れて、というのが本音だろう。 金正日の足跡をざっと復習すると、金日成の後継者に内定したのは、74年の党中央委員会総会で政治局委員に選出された時だ。公に登場したのは80年の党大会。このあとの中央委員会で政治局常務委員・書記・軍事委員に選出された。 そして、94年に金日成が死去、金正日の治世となる。後継者に内定してから20年を経ている。この間、金正日は金日成を神格化するための理屈付けを大々的に行い、巨大な金日成像や巨大記念碑などを精力的に建設した。それに逆らう不満分子らの粛清を断行し、後継体制の邪魔になる親族“横枝”を排除してきた。 金正日にしてみれば、天から降ったように後継者になったのではなく、自らが血のにじむような努力の結果、権力を掌握したという強い思いがある。 それと、金正日は70年代後半の日本人拉致を主導し、80年代のラングーン爆破事件など対韓国テロにも深くかかわったといわれる。80年代後半からはかなりの実権を握っていたようだ。 ところが、88年をピークに民生経済は低迷して食糧難に陥り、90年代には第一次核危機を作り出し、米国や周辺国の強い反発を招いた。金日成がこうした現状を目の当たりにしたのは、金正日が92年夏に落馬して重傷を負い、仕事ができなくなったのがきっかけだった。 金日成は、再び国政の采配を振るようになり、金正日を国政の場から遠ざけた。核危機解決のため、94年6月にカーター元米大統領を平壌に招いた。また、金泳三・韓国大統領(当時)との初の首脳会談もセットし、関係改善を模索した。 また、経済立て直しについてはわざわざ経済関係の重要会議を開き、「人民に配給が行きとどかないのを心配せずにはいられない」と嘆いたという。 その3日後、94年7月8日、心臓発作で82年の生涯を閉じた。心労が積り積ってのことだ。(この項、平井久志著「なぜ北朝鮮は孤立するか」を参照) 権力の魔性に魅入られた こうした経験から、金正日は権力のすごさ、反対に権力を手放した時の淋しさやむなしさを実感した。権力を手放せば、人は手のひらを返したように離れていく。これに伴いカネも物も集まってこなくなる。権力は強力な磁力という魔性を伴う。 このため、人はいったん権力を握ると容易に手離さない。いかなる組織においても同じだ。まして、独裁者にとって独裁的権力は異常なほどの魅力がある。また、権力維持のために人命を奪うこともいとわなかった独裁者にとっては、権力を失うことはわが命にかかわるという恐怖感にとらわれる。 たとえ次なる権力者が息子でも同じだ。息子に権力を譲れば、そのまわりに人が集まり、その集団の利益を図ることが最優先となる。さらに既得権を死守しようとする前の権力者やその取り巻きは、邪魔な存在でしかない。中国や李朝の歴史にこうした例はよく出てくる。 金日成生誕100年になる来年4月15日(太陽節)まで、ちょうど1年。平壌の有名レストラン・玉流館では、その日を祝うために、スッポンやチョウザメ料理を始めたという。 これは、昨年10月に金正日が改装された同館を現地指導に訪れ、「人民のためにそうした料理も作るように」と指示したものだ。しかし、一部の富裕層や外国人観光客以外に一般の住民が口にすることはほとんどない。 口蹄疫はなお広がりつつある 一方で、国連の世界食糧計画(WFP)は、北朝鮮の強い要請で、世界各国に食糧43万トンの支援を呼び掛けている。また、食糧農業機関(FAO)によると、昨年暮れに発生した家畜の口蹄疫の拡大は止まらず、北朝鮮から拡大を収めるためのワクチンと関連資材の提供を要請されたという。 来年の「強盛大国」へ向けての華やかな行事などの準備は整えられつつあるが、肝心の人民の腹を一杯にする施策は進んでいないようだ。 |