手放しで祝えなかった誕生日 岡林弘志 (2011.2.22) 金正日総書記は、無事69歳の誕生日を終えたようだ。珍しく祝宴にも顔を出したというが、めでたさに浸ることはできたか。むしろ心中穏やかでなかったような気がする。長年の病弊である食糧難はより深刻さを増し、豚などに広がった口蹄疫が追い打ちをかけている。それに、因縁の深いエジプトでは30年君臨し、息子に権力を世襲しようとした独裁者が「民衆革命」で追いやられたからだ。 祝宴に金正日が顔を出した 「2月の名節が明けました」 2月16日午前5時。朝鮮中央テレビは朝早くから放映を開始し、例のおどろおどろしい調子で話す女性アナウンサーが出てきて、おごそかに宣言し、この日一日中続く生誕記念番組が始まった。 韓国統一部は「誕生日関連行事は昨年並み」と分析した。平壌では、シンクロナイズドスイミングやフィギアスケートの公演がにぎにぎしく開かれ、新種の「金正日花」の展示会も開かれたようだ。 これまでと違ったのは2点。一つは、労働党中央員会、中央軍事委員会、国防委員会が共催した生誕祝宴に、金正日が顔を見せたことだ。この三機関は北朝鮮の中枢を担い、これまでも2000年と2007年には、祝宴を開いた。しかし、金正日自身が出席したのはこれが初めてだ。毎年の祝賀行事に顔を見せたこともなかった。 もうひとつは、金正恩を後継者として認知させる動きがみられたことだ。16日の朝鮮中央テレビで放映された金正日の記録映画に金正恩が出ていた。昨年1月5日と16日、31日の軍部隊視察の映像である。昨年9月のお披露目の前から、後継者として訓練を積んでいたという経歴を誇示するためか。 また、平壌での芸術公演では、背景のスクリーンには、昨年10月の労働党創建記念日の軍事パレードを閲兵する金正恩をアップにした映像も登場した。 一連の動きは、実権はあくまでも金正日が握りつつ権力世襲の準備を進めるという、金正恩登場後の路線をあらためて強調するものだ。 3機関の祝宴は、金正恩が音頭をとったともいわれる。かつて金正日が後継に決まった際、金日成の神格化作業の実践によって忠実な後継者であることを証明して見せた。この経験に習ったか。 エジプトの動きには沈黙 祝宴の様子は、公表されていないが、金正日はやつれた顔に笑みを浮かべながらも、心中は穏やかでなかったはずだ。 一つは、最近のエジプトの「民衆革命」だ。チュニジアから始まった反独裁のデモは、リビアをはじめアフリカの周辺国に広がっている。 北朝鮮とエジプトは地理的に遠いが、浅からぬ縁がある。1960年代から金日成主席とナセル大統領は非同盟の雄として連携して活躍した。73年の第4次中東戦争の際は、北朝鮮がパイロットを含む1500人の軍事顧問団をエジプトに派遣して、空軍を指導し、勝利に導いた。 この時、空軍司令官だったムバラクは、祖国の英雄になり、80年にはついに大統領に就任。それから30年間も権力をほしいままにしたのである。80年代には4回も北朝鮮を訪問し、金日成と会談している。 一方、エジプトは76年に、北朝鮮にスカッド・ミサイル2基を進呈。北朝鮮はこれを改造、改良して、中・長距離ミサイルを開発した。軍事を中心に深い関係を続けてきた。 さらに、北朝鮮はエジプトの財閥オラスコムの傘下にある通信会社オラスコム・テレコムとの関係も深い。国連などの経済制裁に背を向け、2008年に北朝鮮と合弁会社を作り、通信事業に関する25年間の免許を獲得した。会長のサウィリスは1月23日、平壌を訪問して、金正日に会ったばかりだ。 オラスコムは、北朝鮮の携帯電話事業を一挙に引き受け、昨年末現在で、平壌を中心に約30万台が普及した。さら10都市での事業展開も計画しているという。 このほか、105階建ての柳京ホテルの再建築にも、資金を提供し、すでに外装は出来上がり、来年の「強盛大国」に向けて下層部分の内装を完成させ、営業可能にするようだ。(ムバラクと親しかったオラスコムが今後どうなるかは不明だ) これだけの深い因縁がありながら、北朝鮮はいままでのところ、エジプトの「民衆革命」については、一切報道していない。いかに神経をとがらしているかの裏返しだろう。 ただ、エジプトの動きが直ちに北朝鮮に波及する可能性は、残念ながら高くはない。エジプトは貧富の差が大きいが、食うに困ることはないし、人々の意思疎通も北朝鮮のようにがんじがらめではない。今回のデモを広げる手段となったインターネットの普及率は比べるべくもない。 しかし、オラスコムがもたらした携帯電話は、口コミの有力な手段になる。インターネットも徐々にではあるが、広がりつつあるようだ。それにインターネットなどを通じた「民衆革命」の広がりは、すでに中国にまで押し寄せてきている。 政権を追いやられたムバラクと崩壊寸前のリビアのカダフィは、独裁をさらに続けるため息子に権力を世襲しようとして、民衆の激しい反発にさらされた。金日成からの独裁が60年を超える金正日も神経質にならざるをえない。 南北対話の呼び掛けも不発 もうひとつ、金正日を不快にしているのは、南北関係の進展なし、韓国からの貢物獲得に失敗したからだ。 北朝鮮は、年明けから唐突に南北対話を執拗に呼びかけてきた。一つは、金正日の誕生日前に対韓政策で成果を上げようとしたからだ。しかし、延坪島砲撃を受けた韓国がそのまま受け入れるはずもない。 南北軍事予備会談が開かれたが、韓国側は砲撃などの謝罪と再発防止が大前提と主張すると、北朝鮮は誕生日までには間に合わないと判断してか、「(韓国の)逆賊一味が関係改善を望んでいない」「これ以上相手にする必要を感じない」と、悪口雑言を連発して、席を立ってしまった(2・9)。 韓国が対話に応じたら、食糧支援を獲得し、「南は将軍様の威光にひれ伏して、誕生日祝いにコメを贈ってきた」と宣伝するつもりが外れてしまった。 金正日の誕生日には、住民に贈り物、特別配給をするのが通例だ。子どもには例年のように飴が配られた。ある地域ではコメ3日分、他の職場ではトウモロコシ10日分が配られた等の情報がある。 しかし、住民が泣いて喜ぶほどの贈り物はできないようだ。「数年前に比べて、飴の質が落ちた」「一部では飴が配られなかった」という報道もあった。当局が躍起になって盛り上げようとした「名節」だが、住民にとってはおめでたい気分にはなれなかったようだ。 大寒波に加え、口蹄疫も襲いかかる 今年の北朝鮮の大寒波は、特に農業を痛打しそうだが、もうひとつ豚などの家畜の口蹄疫が蔓延、食料不足をより深刻にしそうだ。 朝鮮中央通信は、大寒波に続いて、口蹄疫の流行についても公表した。(2・10)この後、国際獣疫事務局(OIE、本部・パリ)にも報告した。北朝鮮のメディアが口蹄疫の流行を認めたのは初めてだ。 報告などによると、12月26日、平壌市内で牛6頭の口蹄疫発生が判明し、その後全国へ拡散した。平壌市内や江原道、黄海北道などの中心に、豚9千頭を筆頭に牛、ヤギなど1万頭余りに感染、このうち豚など8650頭が死んだ。 独自で開発したワクチンを使用しているが、あまり効果はなく、国際機関に援助を期待して報告したのだろう。 このため、家畜の取引は中止したという。当然食肉の取引にも大きな影響を与えているはずだ。しかも、世界的に食糧価格が高騰している。干ばつなどの自然災害、新興国の需要急増、投機マネーの暗躍などが原因だ。中国もこの渦中にあり、北朝鮮の食糧確保にも悪影響を与えているはずだ。 金日成の時代には、「誕生日に肉何キロを配給」などの記事がよく見られたが、ここ何年も肉の配給という報道はほとんど見られない。 北朝鮮で、肉は豪華な食事の代名詞だが、住民にはますます縁遠いものになっている。 金正哲はシンガポールで豪遊 そんな中、金一族の贅沢な暮しをのぞかせるニュースが伝えられた。 金正日の二男、金正哲(80年生まれ)がシンガポールで、英国のロック歌手でギタリストのエリック・クラプトンの公演を見る(2・14)など豪遊していた。 金正哲は、かねてクラプトンの熱烈なフアンで、平壌公演を要望したこともある。今回の公演は「2011ワールドツアコンサート」としておこなわれたもので、正哲は、一人2万6千円程のVIP席で鑑賞した。その前後にはクラプトンの顔が描かれたTシャツなど多くの記念品を買い込んだという。 講演会場には、終始20人近い警護員が張り込み、報道陣のテレビ撮影を妨害するなど小競り合いもあり、他の観客のひんしゅくを買った。余談ながら、クラプトン公演は、20日からソウルで行われるが、マネージャーから「北の人は韓国に行けるのか」と問い合わせがあったという。 正哲が泊ったのは「パンパシフィックホテル」など高級ホテルのスイートルーム。テーマパーク「ユニバーサル・スタジオ」や水族館「アンダーウオーター・ワールド」など1週間ほど滞在した。高価なダイヤモンドも買い込む姿も目撃され、韓国紙は「金正日の誕生日祝いか」と書いている。 この様子の一部は、日本や韓国のテレビに写され放映された。正哲は、Tシャツのくつろいだ格好で現れ、手の指には幅広の指輪がいくつもはめられ、左耳にはピアス。渋谷あたりで見かける若者と同じような格好だ。 また、正哲には丸顔の若い女性が付き添い、肩に手を回すなど親しげ。韓国紙は妹のヨジョン(87年生まれ)か妻か、など推測記事を載せている。 正哲はかつて金正日後継として名前が挙がったこともあったが、弟の正恩への世襲が事実上決まった。このため気楽、気ままな生活を楽しんでいるのかもしれないが、この豪遊ぶりは、生活苦の住民には想像すらできないだろう。 また、正哲ら金一族の目には、こうした人々の姿はまったく見えていないようだ。 国内引き締めを強化か 中東の「民衆革命」は、独裁が所得格差を広げ、数多くの貧困層を作りだしたことなどへの怒りが爆発したものだ。 北朝鮮は、アラブの独裁政権の崩壊を見て、国内の引き締めを一層強化するだろうが、マグマは確実に膨れ上がりつつある。 |