現代コリア

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 今まで与えた巨額のドルで誰の自由を買ったのか?
~平壌を往来する人々に問う~
金成昱
(2010.11.18)

 

    平壌を行き来するある牧師が独逸を事例として挙げた。ドイツも統一の前に途方もないお金と物資を与えながら東ドイツの変化を導いたという。自分も、金正日が邪悪であることは認めるが、北韓の変化のため支援の先頭に立つと言った。

    彼にこう話した。

    「金正日にお金と米と肥料を与えるのが悪いことでないとしましょう。しかし、そのように与えて北韓に何かの変化がありましたか? 表現の自由が許されましたか? 居住移転の自由が許されましたか? 宗教の自由が認められましたか? 政治犯収容所でも状況が少し良くなりましたか? 脱北者の強制送還が中断されましたか? どういう変化を言っているのですか? 原爆と天安艦をおっしゃるのですか? あなた方は北韓をもっと駄目にした人々ではありませんか?」 

 

    東ドイツは、統一20年前から扉を開けた。1989年を基準に、西ドイツから毎年20億ドルのお金が入ったが、その分東ドイツの扉が開いた。分断時代、夜8時を過ぎると統一されると言われた。東ドイツ住民が西ドイツのTVを自由に見ながら共感を育てたことを比喩した言葉だ。

 

    「統合政策と分断国統一:ドイツの事例(統一研究院刊)」という本に引用された統計によれば、1983年西ドイツから東ドイツを訪問した人は500万人、東ドイツから西ドイツを訪問した人は160万人に達した。

 

    同じ年、西ドイツから東ドイツへ5900万通の手紙が、東ドイツから西ドイツへ8800万通の手紙が届いた。小包は、西ドイツから東ドイツへ2000‐2500万個、東ドイツから西ドイツへ900万個が送られ、電話は西ドイツから東ドイツじぇ2300万件が掛かってきた。

 

    1986年5月、東・西ドイツ間の文化協定が締結された直後の1987年に、「ドイツ・ドイツの年」が設けられた。その年500万人の東ドイツ人が西ドイツを訪問し、青年だけで4千人に達した。お金を与えた代価として、自由な文通、人の往来、文化交流が行われたのだ。

 

    特に、西ドイツの教会は、プライカウプ(Freikauf:自由を買う)を主導的に推進した。支援の代価として西ドイツの教会は、東ドイツの政治犯釈放、宗教界人士の釈放、離散家族の再会などを推進したのだ。

 

    東ドイツ人の心を買うための西ドイツ人の努力は、1961年ベルリンの壁が設置された後40年が経たず結実を結んだ。1989年「われわれこそ国民だ(Wir sind das Volk!)」という東ドイツ人のデモの叫び声は、1990年1月に入り「われわれは一つの国民だ(Wir sind ein Volk!)」という統一の叫びに変わった。民族自決に基づいたドイツ人の意志には戦勝4国も屈服せざるを得なかった。結局、統一ドイツは世界4大強国に進入するに至る。

 

    われわれ韓国人はどうなのか? 韓国の教会があの多くの米・肥料・ドルを北韓に与えながら、ただの一度でも地下教会の信者や、政治犯収容所、脱北者の強制送還、嬰児殺害と強制堕胎のような蛮行の中断を要求したことがあったのか? 虐殺集団を助けながらむしろ「人道的」だの、「愛」だのと言い、あらゆる偽善と傲慢を振舞ったではないか? 良心を言いながら、最も破廉恥な愚行を犯してはいないか?

 

    間もなく地獄の守衛たちが北韓から発つはずだ。深い闇も晴れる。だが、韓国の教会が、北韓を取巻いているこの頑固でおぞましい迷惑に留まり続けると、帰ってくるものは全民族のぞっとする呪いと災殃だけだろう。

 

    www.chogabje.com 2010-11-11 22:23

 

    *写真は、平壌の「人民武力部」の革命史跡館内のいわゆる「白頭山3大将軍」銅像(左から金日成、金正日、金正淑)、金正日の銅像が初めて公開(2010年5月)された。