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街は明るくなったが…(北朝鮮旅行記・3)
岡林弘志
(2010.10.18)

 

    久しぶりの平壌は、自動車や自転車が増え、服装の質もかなりよくなっていた。15年前は金日成主席が亡くなった翌年、水害にも襲われ、まさに「苦難の行軍」のまっ最中、街は沈んだように元気がなかった。戦争も内戦もない中で、この程度の変化は当然とも思えるが、各地にできた市場を中心にした市場(いちば)経済の影響が大きいのではないか。 

    女性はおしゃれ

    「人民生活で決定的転換を!」
平壌の街のあちこちでこのスローガンが書かれた看板を見かけた。
北朝鮮は今年の施政方針「共同社説」で、「人民生活の向上」を最優先目標に掲げた。経済当局者もこの点を強調している。 

 

「人民生活で決定的転換を!」の大看板→

 

 

    確かに、平壌は15年前の暗く沈んだ雰囲気はなく、かなり明るく、そのころよりは活気があった。通勤の人々はすたすた歩き、男性は黒っぽい服装が多かったが、女性はかなり色彩豊かになり、特に若い女性はスーツを決め込み、靴もハイヒールや中ヒール、メダルの飾りがついたものもあり、結構おしゃれを楽しんでいる感じだ。

 

←乳母車を押す若い母親

    小学生の通学服は自由らしく、カバンは赤や黄色、水色のデイバックも多い。ミッキーマウスやキティちゃんのワッペンを付けた女の子のカバンも見かけた。同行者の中には、携帯電話をかけていた女子中学生も見たという。

 

    携帯電話は、かなり普及しているらしく、われわれの案内人も時々使っていたし、ホテルのロビーで携帯をかけながら歩いている男性もよく見かけた。もっとも外国にはかけられない機種だそうだ。

 

通学の小学生、カラフルなバックを背負っている

2階建バスも時々走っている。 

 自転車を止めて休む人たち

   自動車も増えた。かつては平壌のど真ん中でも時々通る程度だったが、今回はかなり増えた。2両続きのトロリーバス、電車の本数も増えた。しかし、渋滞はまったくなく、おそらくいまでも世界各国の首都のなかで、もっとも車の少ない街だろう。自転車も結構走っている。

   もう少し印象に残ったことを紹介する。

   驚いたのは、朝食前など、ホテルから散歩に出かけても止められなかったことだ。かつてはホテルのドアを出たとたん、あるいは構内から外へ出ると、どこからともなく人相の良くない黒っぽい服の男が出てきて、だめ、戻れと言われたが、今回は拍子抜けするほど、何のチェックも受けない。

   そのまま街へ出て行って、途中街角に二人ずつ銃を持って立っている兵士もところどころにいたが、ただ歩いている分にはなんのお咎めなし。 

   もっとも旅行に行って、ホテルの外を歩くのを一切禁止というのが異常、それをさせないという国はどこにもないだろう。ただ、兵士や警官が見えないところで、何人かに話しかけたが、通勤時間帯ということや当方の朝鮮語のまずさもあってか、胡散臭そうな顔をして行きすぎるなど、会話らしい会話はできなかった。


 住宅街の朝の通勤風景→

 

   遊園地などで、子どもたちに出会った。カメラを向けると、笑顔でピースをしてくれ、どこの学校から来たかなどと質問すると、答えて、おじさんはどこから来た?などと屈託がない。が、すぐに先生が近づいてきて怖い顔で引き離し、われわれの方の案内人も「次の予定がありますから」と促すなど、一般の人々との接触はさせたくない、というところはかつてと変わらない。

 

   現地通貨は使わせない

   それに、「現地のカネを使わせない」というのは、以前より厳しくなっていた。15年前は土産物屋でも現地のカネでお釣りをというと、ウォンの紙幣や貨幣をくれた。今回、案内人は「買い物はユーロでして下さい」と最初に宣言。外国人が使えるのはユーロということになっているようだ。実際は、どこの店でも、ドル、中国人民元、日本円も使えた。今年の前半には、外貨はユーロ以外使えなかったと聞いたが、これもデノミ関連の統制が緩むのと同様に、ゆるくなったようだ。

   ただ、現地通貨は手に入らなかった。案内人に頼んでも「ユーロで必要なものは買えますから」と取り合わない。連れて行かれた土産物店で、案内人が居ない場所で「現地のウォンでお釣りをくれ」と頼んだが、「ここにはない」とそっけない。街を歩いていて目に付いた商店で、ユーロを出して「ウォンでおつりをくれ」と言ったが、手を横に振って拒否された。同行の何人かも試みたが、だめだったようだ。

   デノミの失敗を外国メディアに厳しく指摘され、神経過敏になっているのかもしれない。 

 

   「あれ!作り笑いがなくなったよ」

   学生少年宮殿の劇場で、子どもたちの公演を見たとき、何回かの訪朝経験者が一様に感じたことだ。たしかに以前は、小、中学校や少年宮殿などで歌を歌い踊る子どもたちが、いかにもわざとらしい笑顔を作って歓迎してくれ、かえって違和感を覚えたのを思い出した。

 

←子どもの公演で作り笑いがなくなった(学生少年宮殿)

   歌の内容も、かつては指導者の功績をたたえ、首領様や指導者同志のおかげで楽しく勉強ができ、遊び、おいしい牛乳を飲むことができるなどというものか、勇ましい内容の政治的な色合いの濃いものがほとんどだったが、今回は「故郷の春」といった昔からの童謡や民俗的な遊びを歌ったものなど政治色のない歌詞や踊りが増えていた。

   その場の案内人に、作り笑いを辞めた理由を聞いたが、笑って答えなかった。外国人から好意的に受け取られないと気付いたからか。

 

   もうひとつ、感じたのは各施設の案内人や通訳などの朝鮮語に、北特有の激しく抑、揚(オギャン)をつける話し方がなくなったことだ。ソウルの言葉ほどゆっくりではないが、いかにも北朝鮮と感じる喋り方がなくなったのは、ある意味でさみしい。

   もともと南北朝鮮の言葉にも地方のよる方言はある。ただ、北朝鮮は解放後に南との差別化を意識してか、単語に革命用語を大量に取り入れ、わざわざ激しい抑揚をつけた話し方をしたのかもしれない。しかし、不自然は長続きしないのか。それに、金大中、盧武鉉政権時代、多くの韓国人が北朝鮮を訪れており、その影響もあったのかもしれない。

   なぜかはしかとわからないが、記しておく。

 

   商店が増えた

   夜もかなり明るくなった。15年前、20年前は平壌の中心部でも薄暗い街灯がぽつぽつついているだけだったが、今回はアパートの各部屋も半分近くは明かりがついていた。

   また、人民大学習道など大型の建物はライトアップされていたが、これは10月10日の労働党創建記念日までのことらしい。

   街で大きく変わったのは、商店が増えたことだ。かつてはたまにしか見かけず、あっても店を閉めているか、棚をみても商品はほとんどなかった。とくに高麗ホテルの近くには商店が並んでいたが、営業しているところを見た人はほとんどなく、商店もあるよという“アリバイ証明”のようなところがあった。 

 

   今回はあちこちで営業中の商店を見かけた。アパート群の一角には必ず、何軒かの商店がある。とくに「工業品直売店」の看板を掲げた店をいくつも見かけた。ここは衣料品洋服生地、情勢の下着、なべやボールなどの台所用品、飲料水などが並んでおり要するに雑貨店だ。このほかにも食堂、食料品店、美容室、洋服店、薬局、古書店などの看板も見かけた。露店もちらほら見かけ、「焼き芋」「清涼飲料水」「新聞売り場」などと書かれていた。  

「飲料水売り」 

 

「焼き芋屋」

   平壌で見る限り、20年前、15年前からはかなり良くなっているのは間違いないだろう。同行者の何人かと話したが、これは2002年7月の経済改革措置の影響という見方が有力だった。私もそう思う。

   この「7・1経済改革」は、国家が資源、燃料を供給できず、配給も止まりがちの経済難をしのぐ苦肉の策だったが、それまでの統制経済、管理経済をかなり大胆に見直すものだった。この改革によって、各企業は原則として独立採算制を採用。さらに「チャンマダン」と呼ばれる市場が公認され、各地に市場ができ、中には体育館ほどの「総合市場」まで登場した。これが人民の生活を変えたのではないか。

 

   人々は市場を通じて、商売をし、カネもうけや食料、モノを手に入れる術を覚え、不足していた日用雑貨などは中国から大量に輸入した。政府の統制が外れ、配給が有名無実になる中で、初歩的ではあるが市場主義になじみながら、人々はたくましく生き抜いたのである。

 

   「市場(いちば)経済」の効用

   人間はカネとモノを一度手にすると、それを失いたくない欲が出て、さらにそれ以上のカネとモノを手に入れたがる。資本主義はその欲望を刺激して経済の豊かさを追求する。

   こうした仕組みの中では、国家の統制はむしろ邪魔だ。資本主義は自由と裏腹の関係にある。となれば、独裁体制とは相いれない。昨年11月のデノミは、その危機感の表れだ。市場資本主義に一気にブレーキをかけ、統制を強めようとした。

   しかし、北朝鮮の人々は、この8年の間に着実に市場(いちば)資本主義によってたとえ少しずつでも欲望を満たす喜びを覚えた。そこまで行かなくとも配給が滞る中、食料や日用品を調達し、何とか生き延びる術を身につけた。別の表現をすると、失うものを持ったのである。

   統制が強まれば、再び食糧不足、物不足の世の中に戻りかねない。人々は持てるものを失うとき激しく抵抗する。デノミに対して人々が強く反発したのは当然の成り行きだ。市場の閉鎖や規制、タンス預金の凍結などの措置が次々と緩められたのは、いかに抵抗が強かったかを証明している。

 

   角度を変えてみると、人々はほっといてくれれば、一生懸命に生きて食っていける。なまじ統制を強めるなどお上が経済に口を出すと混乱して人々は迷惑を被るということだろう。

 

   2012年の「強盛大国」実現に向け、権力世襲に向けて強化せざるを得ない独裁体制と、人々の生活に深くしみ込んだ市場(いちば)資本主義とのせめぎあいは、ますます激しくならざるを得ないだろう。かなり明るくなった街を眺めながらの感想だ。

 

   旅行中、案内人に何回か市場の見学を申し入れたが、「スケジュールがいっぱい。次に来たとき行きましょう」などとはぐらかされた。数年前は外国メディアに公開し御たこともあったと思うが、デノミ、市場規制をやった後、再び市場が盛況という光景を見せたくないのか、あるいは物価の動静を知られたくないのか、市場見学は実現しなかった。

 

 

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