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 米国と北朝鮮

 

北朝鮮研究の現状①
東京新聞記者  五味洋治

gomi42@gmail.com

(2009.6.23)

 

    私は2008年8月から2009年5月末まで日米の交換記者として米国の首都ワシントンのジョージタウン大学大学院研究員として約10カ月滞在し、米国の北朝鮮政策を研究した。
  米国では、北朝鮮を専門の1つとしている専門家は40人ほどだと思われる。それなりの成果を残してきたが、彼らの視点は、韓国や日本の専門家とは必ずしも一致しない。 
  北朝鮮の文献を読み解き、本格的な体制研究をしている人はあまりおらず、北東アジアという枠組みや、米国に敵対的な「ならずもの国家」の1つにひとくくりして、どう対応するべきかを研究している人が多い。その概要を記してみる。

 

   アカデミズム 
 最初に北朝鮮の研究を行ったのは、韓国生まれや韓国育ちの学者である。彼らは韓国語を母国語とし、米国での北朝鮮研究の基礎を作った。
 代表的なのはハワイ大学の教授だった徐大粛で『朝鮮共産主義運動史 1918~1948』(コリア評論社、1970年)、『金日成と金正日 革命神話と主体思想』(岩波書店、1996年)など、数々の名著がある。徐大粛はすでに引退して、ロサンゼルスに居住している。お会いする機会はなかったが、メールをやりとりした。
 『金日成と金正日 革命神話と主体思想』には、金日成の業績と失策が公平に書かれている。
 失策はすでに広く知られているが、業績として徐氏は「朝鮮人民を新たな人間として、自負心を有する主体的人間として作り上げたことだ」「万事に関わりつつ、北朝鮮人民に政治的安定感と継続性を保障した」(168~170ページ)と書いている。
 同書を翻訳した古田博史氏によれば、徐氏は中朝国境の中国側の吉林省龍井出身。韓国のソウル高等学校を卒業し、現在の延世大学に通っている時朝鮮戦争が勃発。渡米し、学究生活に入った。1974年にアメリカの学者として始めて北朝鮮に渡った。
  
 ペンシルベニア大学のChong-Sik Lee教授も、『Communism in Korea』(University of CA Press、1972)という本で知られる。残念ながら、彼の著作を読んだことはないが、北朝鮮だけでなく日韓関係や中国に関する著作もあり、専門が広範囲である。
 この2人は、奇しくも政治体制の研究だった。これは2人とも韓国系で、南北の最大の違い、つまり政治体制の違いについて強い関心を持っていたためだ。2人の研究は当時としては先駆的なもので、その後の北朝鮮研究の基礎となった。

 

 1960年代に韓国系の若手学者が、北朝鮮を訪問したことがある。この本は日本でも『朝鮮見たまま―在米学者七人による』(金鍾益著、小林敬爾、 飯田学而訳、コリア評論社、1984年)として日本でも翻訳出版されている。内容は一種の現地調査であり、今読んでも、十分興味深い内容だ。7人はいずれも朝鮮戦争後に渡米しており、在米歴は半世紀を超えている。今60代か、それ以上となっており、大半は引退している。
 当時北朝鮮を1週間以上訪問することは難しく、帰国後彼らは韓国の安企部(現国家情報院)に詳細な報告を求められたほか、米国務省にも報告書を提出した。
 この時、北朝鮮側は祖国統一が重要だとの覚え書きを交わすように学者側に求めてきたという。在米の学者を通じて、南側に統一を働きかけるつもりだったらしい。
 結局、学者側は断った。1983年というと、ビルマ(現ミャンマー)でラングーン事件(注1)が起きている。北朝鮮は、韓国の経済的な台頭に焦りを感じていたころに当たる。
 興味深いことにこの本は、「朝鮮戦争で完全に廃墟となった平壌が、わずか30年でここまで復興できたのは驚き」「北朝鮮で、無料で行われている医療制度に感銘を受けた」(268~269ページ)と一定の評価している。また問題点として、「北朝鮮の政策を批判することは、神を冒涜する行為に匹敵する」(273ページ)などと過度の個人信仰や、労働者を徹底的に思想教育し、中央集権的な計画経済が経済発展を阻害していることなども明確に挙げていた(270ページ)。これらは30年近くたった現在でも十分通用する指摘である。  
 この7人は、引き続き北朝鮮研究を続けた。
 現在も現役でいるのは、ジョージア大学の朴漢植(HAN S.PARK)である。彼は、その後も訪朝を繰り返した。彼だけが、北朝鮮の統治思想である「主体思想」を研究テーマにした。本人は「30数回の訪朝歴がある」と語っており、今でもマスコミに北朝鮮の現況を語ることもある。彼のホームページはここにある。
http://hanpark.myweb.uga.edu/
 7人の中の1人、吉栄煥(Young Whan Kihl)はアイオワ州立大学の元教授だ。
 韓国、北朝鮮に関する著作が16冊ある。朝鮮戦争の混乱の中、ソウルからアメリカに渡り、政治学の博士号を受け、一貫してアメリカで教鞭を執ってきた。私がジョージタウン大学の大学院に客員研究員として在籍していた時、やはり客員研究員として在籍しており、親しく付き合わせていただいた。
http://www.pols.iastate.edu/kihl.shtml 

 

 韓国系ではないが、ロバート・スカラピーノ(Robert A. Scalapino)は、アメリカ合衆国の政治学者で、カリフォルニア大学バークレー校名誉教授。専門は、アジア政治、政治発展論。ハーヴァード大学で博士号を取得している。何回も訪朝しているが、北朝鮮に関する著作はない。1919年カンザス生まれ。太平洋戦争の勃発後、米軍の指示によりドナルド・キーン氏らとともに、コロラド大学ボルダー校に集められ日本語を学んだ。
 カリフォルニア大バークレー校で50年以上政治学の教鞭をとり、同校の極東研究所を米国有数のアジア研究機関に育て上げた。
 アメリカにおける東アジア研究の泰斗で、特に中国に詳しい。歴代大統領のブレーンとしてアメリカのアジア政策決定に影響力を及ぼしてきた。また、弟子の多くが朝鮮半島研究に取り組んでいる。
 ニューメキシコ州のビル・リチャードソン知事は、北朝鮮と独自のパイプを持っており、米朝関係がこじれた時、何回か直接北朝鮮に乗り込んでいる。彼の北朝鮮ブレーンが、トニー・ナムクンで、スカラピーノの教え子である。

 

 歴史家では、シカゴ大学教授のブルース・カミングス(Bruce Cumings)がよく知られており、日本でも多くの訳書が出ている。彼は徴兵を忌避して平和部隊に入り、韓国で英語の教師をして暮らした経験がある。
 『現代朝鮮の歴史―世界のなかの朝鮮』(横田安司、小林知子訳、明石書店)『北朝鮮とアメリカ 確執の半世紀』(杉田米行、古谷和仁、明石書店、2004年) 『朝鮮戦争の起源』(鄭敬謨、林哲、明石書店、1989年)などが代表的な著作だ。
 カミングスは、朝鮮半島の分断は「合衆国が最大の責任を負っている」(『現代朝鮮の歴史』847ページ)と常に説いている。
 その弟子に当たるチャールズ・アームストロングはコロンビア大学で教鞭を執っている。彼は『北朝鮮本をどう読むか』(和田春樹、高崎宗司/編著、明石書店、2003年)の中で、米国における北朝鮮論を語っている。
 米国での北朝鮮に関する報道について彼は「北朝鮮の歴史的、社会的、文化的背景および現在の危機を深く考えることなく、貧しい、予測不能で、非合理的な体制だとする極めて浅薄な北朝鮮像ばかりだ」と批判している。
 その上で彼は、最近の10年間で出版された本の中で重要なものとして、セリグ・ハリソン『朝鮮のエンドゲーム』、アンドリュー・ナチオス『北朝鮮大飢饉』、コンダン・オー他『鏡でみた北朝鮮』、マーカス・ノーランド『黙示録を回避しつつ―2つの朝鮮の未来』、エイドリアン・プゾー『遊撃隊王朝―北朝鮮における政治と指導』、ヘレンルイズ・ハンター『金日成の北朝鮮』、レオン・シーガル『他者を武装解除する―北朝鮮と核外交』、ドン・オーバードーファー『二つの朝鮮』、ブルース・カミングス『太陽の中の朝鮮の場所』、チャールズ・アームストロング『北朝鮮革命 1945-1950』を挙げている(194~195ページ)。
 北朝鮮研究は多彩になっており、「米国の主流メディアと国民の北朝鮮理解に影響を与えてほしい」(196p)と願っている。
チャールズ・アームストロングの著書については、以下に書評がある。
http://www.ide.go.jp/Japanese/Publish/Periodicals/Ajia/pdf/2004_11/10.pdf

 

 特に『鏡でみた北朝鮮』は、北朝鮮の歴史、経済、軍事を丁寧に説いた本で、多くの学者がこの本を引用している。ちなみにコンダンは韓国系米国人女性で、ワシントンで活動する北朝鮮研究者の世話役だ。月に1回、オフレコで北朝鮮問題を、学者や米政府関係者が語るサロン「コリア・クラブ」の主催者でもある。

 

http://www.keia.org/report.php?id=PRG10119

 

    (注1)  1983年10月9日、韓国の全斗煥大統領(当時)がミャンマー(旧・ビルマ)のラングーン(現ヤンゴン)市内を訪問中に爆発物が爆発し、韓国とミャンマーの高官ら21人が死亡した。ミャンマー政府は北朝鮮工作員の犯行と断定し、同国との国交を断絶した。2006年4月にはミャンマーが北朝鮮の外交関係を将来、全面回復することを実務者レベルの協議で合意。2007年4月26日、北朝鮮側の代表である金永日外務次官とミャンマー側代表、チョー・トゥ外務次官の間で正式に合意文書が署名され、24年ぶりに国交を回復した。