北朝鮮は、なぜ中国に逆らえないのか~愛憎の中朝60年~ 五味洋治 (2008.10.15) 連載(4) 第5章 裏切られても関係を守る 反発 中国は、台湾に言及したこの声明に激しく反発し、同時に米国が本格参戦する考えであることに気づかされる。戦争準備を開始したが、実際に参戦するまでには、迷いに迷い、出兵の決定を再三取り消していた。 開戦前の1950年5月中旬、金日成は毛沢東に会うため訪中し、朝鮮統一に関して意見を求めていた。金日成は1930~40年代に中国東北地方で抗日連合軍に参加して、中国人民と共同で日本と戦った。 しかし、開戦について毛沢東は直接知らされていなかった。開戦翌日の6月26日に毛沢東は、側近のロシア語通訳に対して、「昨日の夜、パリからの報道を見た。朝鮮戦争が起きた」と話した(注4)。開戦を報道で知ったと言うのだった。 北朝鮮は一人の佐官を28日、北京に送って開戦を伝えた。毛は「彼ら(北朝鮮)はわれわれの隣国なのに、戦争を始めることすらわれわれに相談がなかった。今になってようやくやってきた」ともらしたという。2006年の核実験でも北朝鮮は中国に直前になって通報していた。いざとなると中国抜きで物事を進める北朝鮮の中国に対する姿勢は、半世紀変わっていない。 金日成は10月1日、平壌の中国大使館を訪問し、中国に出兵を要請。朴憲永外相に自分の直筆書簡を持たせ、毛沢東に出兵を求めた。毛は再三迷った末、10月19日、中国人民義勇軍を参戦させた。ソ連からの武器は中国側への貸借という形になり、同年11月にはソ連軍は約束通り空軍を派遣した。それから戦闘が3年間続き、1953年7月27日に板門店で軍事停戦協定を締結した。中国側では戦闘に「勝利した」ことになっている。 戦争中、中国は北朝鮮に食料、衣服を送り、戦後借款の支払いを免除した。戦争で被害を受けた橋、貯水池、堤防、道路、鉄道に中国軍が投入された。1954~57年の間、再建費用として3億2000万ドルが贈与され、石炭、漁船、鉄道車両なども供与された。57年までに北朝鮮の対中国貿易は27%を占めるまでになった(注5)。 (注4)師哲「中蘇関係見証録」:237ページ、当代中国出版社、2005年 (注5)松本三郎、川本邦衛「ベトナムと北朝鮮――岐路に立つ二つの国」:258ページ、1995年
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