北朝鮮は、なぜ中国に逆らえないのか~愛憎の中朝60年~ 五味洋治 (2008.10.14) 連載(2) 第5章 裏切られても関係を守る 戦争は人が死ぬものだ 岸英は当時28歳。1年前に結婚したばかりだった。彭徳懐は岸英の死について、毛沢東宛の電報を打ったが、その知らせは周恩来のところで留め置かれた。毛への衝撃に配慮したためだ。 その年の12月3日、金日成が訪中した。息子の死亡について謝罪するつもりだったが、最後まで切り出せなかった。毛には結局は2ヵ月後に周恩来からの手紙で知らされた。しばらく無言でたばこを吸い続け、「戦争は必ず人が死ぬものだ。岸英はかわいそうな子だった」と話した(注2)。 岸英の遺体については金日成が、北朝鮮での埋葬を要請。毛も「戦士の肉体は父母のものではない」として、「義勇軍兵士と同様に扱いなさい。私の息子だけ特別扱いしなくていい。特別な葬儀もいらない」と北朝鮮への埋葬を指示した。彭はその後、文化大革命の時期に、朝鮮戦争での対応を厳しく批判される。 夫の死亡について、妻には朝鮮戦争終了後、ようやく通知された。岸英の墓地は平壌郊外の平安南道檜倉郡の烈士陵園にあり、訪朝する中国人の観光コースになっているほか、中朝関係の節目節目に記念式典が行われている。 中国は朝鮮戦争に300万人以上の兵力を投入し、公式には15万人が死亡したとしている。一般的には死者は40万人との見方だ。中国では朝鮮戦争のことを抗美援朝と呼ぶ。米国(中国語では美国)に抵抗する北朝鮮を支援するという意味がある。北京市内にある戦争博物館に行けば、戦争の歴史や、当時の電報類が展示されている。朝鮮戦争はすでに50年以上も前のことだ。私は、歴史学者ではなく、とてもこの戦争を精緻にとらえなおすことはできない。ただ戦争という極限状況の中で生まれた中国と北朝鮮の関係は、現在の中朝関係にそのまま当てはまると思われてならない。 (注2)「毛沢東伝」:147ページ、中央文献出版社、2003年 |