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北朝鮮は、なぜ中国に逆らえないのか~愛憎の中朝60年~
五味洋治
(2008.10.14)

 

連載(1)

第5章 裏切られても関係を守る

 

異例の国賓待遇

 

    中国と北朝鮮は1949年に国交を樹立した。その後朝鮮戦争(50~53年)に中国人民義勇軍が参戦、61年には中朝友好協力相互援助条約を締結している。両国関係は、ほぼ3回にわたって冷却期が訪れた。1回目は、文化大革命の中国が北朝鮮を批判した1966年から1990年の江沢民総書記が訪朝まで。2回目は、1992年の中韓国交樹立から、1999年の北朝鮮ナンバー2である金永南訪中まで。3回目は2006年10月の北朝鮮の核実験以降で、現在は徐々に回復しつつある。

 

    中国と北朝鮮の関係を歴史的なつながりで説明するには、まず2007年5月16日の、この出来事に触れるのがいいだろう。この日、中国からのある訪問団が北朝鮮で手厚いもてなしを受けていた。朝鮮戦争で北朝鮮を支援する中国義勇軍に参戦、戦死した中国の故毛沢東主席の長男、岸英の遺族だった。

 

    遺族の一行は11日から16日まで滞在したが、北朝鮮は13日に政府が、15日には人民武力省がそれぞれ歓迎宴を開催した。また対外的に国家元首を務める金永南・最高人民会議常任委員長も会談に応じた。

 

    朝鮮中央通信によると、2回の歓迎宴で北朝鮮側は「故金日成主席と毛沢東主席により築かれた親善関係は、その後の中朝指導者により継承されている」と繰り返し強調したという。15日の歓迎宴では朝鮮人民軍高官が「今回の訪問は今後も変わりなく中朝親善関係が継承されるよう次世代に示す契機になった」と評価した。北朝鮮が、朝鮮戦争に出兵した中国に対し、未だに恩義を感じていることを示したエピソードであろう。

 

    岸英は1950年6月に始まった朝鮮戦争に中国義勇軍の一員として参加した。中国人民義援軍の司令官だった彭徳懐の部隊に、彭の秘書として所属していた。

 

    北朝鮮に入って34日目の1950年11月25日、作戦室で本国からの電報を整理している時、爆撃に遭って戦死した(注1)。遺体は焼けこげ、誰か判別できないほどだったが、身につけていたドイツ製の時計と、スターリンから送られた小銃という特別な所持品から本人と分かった。この報を知って、金日成も車に乗って現地に駆けつけた。

 

 

(注1)武立金「毛岸秀在朝鮮戦場」:220~239ページ、作家出版社、2006年