北朝鮮は、なぜ中国に逆らえないのか~愛憎の中朝60年~ 五味洋治 (2008.10.8) 連載(18) 第4章 個人的関係でつなぐ 中国ににらまれた延亨黙 2005年10月22日に73歳で死去した延亨黙国防委員会副委員長(朝鮮労働党政治局員候補)は、金正日の最側近の一人で、中国とも浅からぬ関係にあった。穏和な笑顔が印象的な経済専門家で、金正日の国内視察や中国、ロシア訪問にも同行し、経済関係の視察を行っている。 中国東北部、瀋陽にある焼き肉屋を拠点に、中国の実情を探っていたとも言われる。晩年は膵臓ガンを患ったとされ、急激にやせた姿が労働新聞に掲載された。2002年からの経済改革では主導的役割を果たしたとみられる。 1931年に咸鏡北道で生まれた。チェコスロバキアに留学し、党書記などを経て75年から政務院(現在の内閣)で副首相、首相を歴任した。92年に首相職を解任され慈江道の責任書記になったが、同地域の工業、農業の再建で評価され、98年に国防委委員として中央に復帰、2003年9月に副委員長となった。 1990~92年の南北首相会談では4回訪韓。91年には国連総会からの帰国途中に日本に立ち寄り、当時の田辺誠社会党委員長と会談したことがある。 金正日は、幹部の中で延をもっとも信用したという。ただ韓国を訪問した時、朝鮮半島が統一されたら、東北三省は高句麗の土地だけに、必ずわれわれが求めなければいけないという意味の発言を行った。これが中国側の神経を逆なでし、辞任を求めてきた。このため金正日が、中国政府の承認を受けるため、彼を両江道の責任秘書に左遷した。ただ当時乗っていた乗用車はそのまま乗れるようにしたという(注18)。 (注18)ホ・ヘイル『北韓ヨジキョン』:54~57ページ、韓国・マルグンソリ社、2005年 |