現代コリア

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本の発酵時間

~玉城素先生を偲んで~

成美子

(2008.10.1)

 

    三十五年の歴史のある出版社、晩聲社の代表者の和多田進氏が横浜に来られたのは、いまから十年前のことだった。

 

    事業がおもわしくなく、資金繰りに完全につまった。熟考の末、会社を清算することになった。そのため倉庫の裁断をはじめたが、この三十五年間に手塩にかけた愛着のある本を裁断するのは身を切られるように辛い。なんとか会社を借金ごと引き取ってもらえないかという依頼だった。

 

    わたしは、晩聲社から「在日二世の母から在日三世の娘へ」というエッセイと評論集、「パチンコ業界報告書」というルポを出していたが、たくさんの若い女性編集者が活発に働いている元気のいい会社という印象があった。わたしのあまり売れそうもない分厚い本に製作協力金や買い取りを求めるわけでもなかったので、経営に余裕があるのだろうと勝手に思い込んでいた。寝耳に水のような出来事だった。

 

    が、その申し出は、わたしにとって魅惑的でもあった。というのは、いくつかの体験から、日本の出版界が外国人に閉鎖的なのではないかという疑惑を持っていたからである。

 

    義弟のひとりは、書店を開くのが夢だったが、どうしても取次と契約できなかった。日本の書店は日販や東販、大阪屋などという取次を通して本を仕入れるようになっている。そのルートなしで、出版社ごとに交渉して莫大な量の本を仕入れるのは不可能である。

 

    かくいうわたしも、出版社を立ち上げたいという野心を持ち、何度も企画書を日販や東販に提出したが、窓口で受け付けてくれるだけでいつもなんの音沙汰もなかった。

 

    韓国人だから駄目ですと言われれば、問題ははっきりするのだが、もしかしたら経済力や企画の不備などが引っ掛かったのかもしれないという余地もあった。結局、日本人の意識の形成に大きな影響力を持つ本というものに、外国人をかかわらせたくないのだろうと、わたしは自らにいいきかせていた。

 

    和多田氏に借金の総額をきいて、わたしは頭を振ってしまった。

 

    なんと1憶円だという。明細をみると、ほとんどが製作費の未払いである。ざっと計算しても、50冊の本を業者を泣かせながら作りつづけたことになる。

 

    「僕はこの間ずっとベストセラーが出なかった。僕の感性が世間と齟齬をきたしているのだと思う。ソンさんだったら」と説得する和多田さんの言葉を遮ると、名編集者としても名の知れた彼はまじめな顔で「いくらだったら引き受けてくれるのか?」と、問いかけてきた。

 

    出版社といっても、取次一社だけだったりする会社が多い中で、この会社は十社にのぼるすべての取次と契約していた。それに早発なので取次の条件も格段にいい。「学校」とか「もうひとつの少年期」とか名作といわれるルポも枚挙にいとまがないほどたくさんある。わたしはしばらく考えて「2000万」と、答えた。和多田氏は決意したように席を立った。

 

    正直なところわたしは高を括っていた。どこの世界に二割で納得する債権者がいるだろうかと思っていた。

 

    が、和多田氏は一週間後、書類の束を抱えて再び現れた。なんとほとんどの業者が二割に免除するという覚書に印を押している。意外だったのは、数千円や一万円で百回払いや二百回払いにするという条件も付いていたことだった。

 

    もちろん清算されて一円も入らないよりはという思いもなかったわけではないだろうが、わたしはその条件に晩聲社が存続してほしいという業者の気持ちを感じ取った。疲労困憊した顔で書類の束を差し出したわたしより何歳か年上の色白で華奢な和多田氏の姿をみたら、断れなくなった。

 

    和多田氏が業者を説得したように、今度はわたしが、夫にどんなにいい買い物かを説く番だった。

 

    こうしてわたしたちは思いがけない成り行きで老舗の出版社を手入れた。ずぶの素人がこの十年でプロになったかというと、いささか怪しいが、とりあえず潰さないで維持している。在日として出したい本があれば瞬時に出せる特権を手にし、時には韓流にのってベストセラーを出していることを考えると、まずまずの選択だったと思う。

 

    今月の14日に玉城素氏が亡くなられた。82歳だった。氏が72歳の時、晩聲社を引き受けたばかりのわたしは、一番目の企画として、北朝鮮研究の第一人者である氏に本を依頼したものだった。玉城先生は、気持ちよく引き受けてくださったが、原稿の進行は遅々として進まなかった。現代コリアで連載したものをまとめたのだが、ゲラが玉城先生から戻ってくることがなかったのである。組んだゲラは色あせて棚に置かれたままだった。

 

    ところが、今年、玉城氏は、猛烈な仕上げ作業に入った。構成もガラリと変え、追加原稿を脱稿しはじめた。そのなかの一章の「金正日の十年」は、期せずして八月に出版した「わたしの娘を100ウォンで売ります」で詠われた北朝鮮の三百万人の餓死の状況をわかりやすく解き明かしていたので、解説として先に載せさせてもらえるという僥倖を得た。

 

    透明で端正な研究に裏打ちされた文章は、「わたしの娘」に説得力を与えてくださったが、お元気なうちに先生のご著書を上梓したかったと痛切に思う。本は知性を発酵させて作るという自覚がわたしにはあるが、十年という発酵時間にしてしまったことは目下のわたしの最大のもどかしさである。そして、それよりもなによりも好奇心に溢れた少年のような先生の表情に接する時間がもう終ってしまったのがくやしい。