政治の混迷が「拉致」解決を遠ざける 岡林 弘志 (2008.9.3) つい最近もこんな光景を見たような気がする。9月1日、福田康夫首相が突然辞任した。つい一年ほど前に、安倍晋三首相が体調を崩して辞任したのに続いての「政権投げ出し」だ。 長年続いた自民党政権の末期現象としかいいようがない。こんなにあわただしく政権が代わっては、山積する内外の懸案はどうなるのか。特に、相手の足元をみるのに敏な北朝鮮を相手にしての拉致問題の行方が心配になる。 「北朝鮮の対応が遅くなる理由を作ってしまった。この時期に政治停滞を招くのは困ったことだ」(増元照明・拉致被害者家族の会事務局長) 拉致被害者5人とその家族8人が三回に分かれて帰国してから、すでに4年が経過した。ようやく日朝の事務レベル協議が開かれ、8月13日に①北朝鮮当局から権限を与えられた調査委員会を設置する②可能な限り今年秋までに調査結果をまとめる③見返りとして、「人的往来」「航空チャーター便乗り入れ」を解禁する――ことで合意し、9月早々にも調査委員会の設置を連絡してくるはずだった。 拉致被害者は関係当局に軟禁され、所在はすべて把握されている。いまさら「調査」は白々しいが、いずれにしても少しでも前へ進めなければならない。 福田首相は「任期中に拉致問題を解決する」と公約し、中山恭子・首相補佐官を拉致担当閣僚に格上げして、具体的な取り組みを始めたばかりだ。 その矢先の辞任である。北朝鮮は、見返りの実施が確定しない限り、再調査には着手しないだろう。北朝鮮が得意とする時間稼ぎ戦術の材料をわざわざこちらが提供したようなものだ。これでは、被害者家族らが怒るのも当然だ。「公約」は紙っぺらに過ぎないのか。無責任を絵に描いたような話だ。 福田辞任の直接の理由は、国会を中心とする政権運営が行き詰まったためだ。「ねじれ国会」で、福田の重点公約である消費者庁設置、インド洋での自衛隊の給油活動を継続する新テロ特措法は、野党の反対で成立はほとんど望めない。 与党内にも公明党を中心に「福田では総選挙を戦えない」と、福田批判が強まりつつある。そのうえ、低迷する内閣支持率を挽回するため、8月1日に内閣改造をしたが、国民はそっぽを向いたままだった。
「四面楚歌」で政権を投げ出さざるをえなかったのだろうが、それにしても無責任だ。しかも二代続いてとなると、自民党の政権担当能力の衰えとしかいいようがない。 「貧乏くじを引いたのかもしれない」。福田は首相になってから自嘲気味にこんな感想を漏らした。政権を取ることが「貧乏くじ」というのは、自民党政治そのものが行き詰まっている現状をよく表している、長期政権の中で、高度成長を支えた政官業の三角関係は、既得権益にしがみつくための癒着に堕落し、世襲議員の横行はひ弱な政治家を生んだ。年金や医療、社会福祉、地球環境など、これまでの自民党政治の矛盾ややり残しが、「小泉改革」の副作用である格差拡大などとともに、一挙に浮上した。 安倍、福田の両政権はこの後始末に足を取られ、指導力を発揮できないために、辞任せざるを得なかった。また、米国発のグローバル化をはじめとする激動の時代の荒波を乗り越えることはできなかった。 突然の首相辞任は内政の停滞を招くだけでなく、対外的な信用も失う。 日本は憲法上の制約から、軍事力を背景にした外交はできない。その中で「したたかな外交」を展開しようとすれば、①為政者の戦略眼②政権の安定③世論の後押し――が不可欠だ。
まして、「恫喝外交」「瀬戸際外交」を得意とする北朝鮮を相手にしての外交は、このどれを欠いてもつけ込まれる。 小泉外交の評価は後世にゆだねるにしても、首相自らが「敵地」へ乗り込んでの果敢な交渉が初めての拉致被害者の奪還を実現したのは間違いない。それを後押ししたのが北朝鮮への国民の怒り、それから50%を超える内閣支持率と、5年余り続いた政権の安定である。いくつかの失策もあったが、発生から30年余も歴代政権が無視し、手をこまねいてきた拉致事件に大きな風穴を開けた。 小泉を支えた安倍は、首相に就任してから「圧力」を加え続けた。ミサイル発射、核実験が直接の要因だが、拉致も念頭に置いてできる限りの経済制裁を実施した。独裁者には「圧力」が一番という安倍の外交戦術を反映してのことだ。しかし、水面下の接触もなしに、棒を飲み込んだような対応は、時間が短かったこともあるが、結果として何の成果も生まなかった。また、タカ派をむき出しにした稚拙な政権運営は国論を二分し、世論の支持も分散した。 福田政権になって、対話路線に軌道修正したこともあって、日朝間は動き出したかに見えたが、これは拉致事件の進展をテロ国家指定解除の条件にした米国働きかけによるものだ。はじめから内閣支持率が低迷し、自民党内も対北強硬派と国交正常化推進派に大きく割れている。こんななかで、北朝鮮が本気で拉致解決に動くはずもない。 「背水の陣内閣」。福田は就任時に自ら命名したが、死にものぐるいで政策実現や外交に取り組む姿はみられないまま、哀れ背後の濁流に飲み込まれてしまった。 相次ぐ政権の不安定に、金正日総書記はほくそ笑んでいるに違いない。
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