米国は「非常識」に勝てないか 岡林 弘志 (2008.8.21) 「常識」が「非常識」を説得するのは、きわめて難しい――。 北朝鮮の核をめぐる六カ国協議をながめていて、あらためてそう思う。 六カ国協議は「第二段階措置」に入っている。再び停滞しているのは、北朝鮮が「核計画の申告」に伴う「検証」の具体的な段取りに同意しないからだ。 理由はいくつかあるが、米国が足元をみられたことが最大の原因だろう。 来年一月に任期がくるブッシュ政権は、外交成果をあげるため焦っているようだ。就任直後は「ならず者」などと言っていたのに、このところの動きを見ると、北朝鮮に対して妥協に妥協を繰り返している。 6月26日、北朝鮮が「核計画の申告」をすると同時に、ブッシュ大統領は、見返りとして北朝鮮に対するテロ支援国家の指定解除を議会に通告した。議会で上下両院3分の2以上が反対しなければ、45日後に官報に掲載すれば発効する。 テロ指定解除は、米国による敵視政策を転換させ、周辺国の経済支援を手に入れるための最大のカギだ。それなのに、申告の中身の真偽を確かめるまえの「指定解除」は、北朝鮮がよく使う「行動対行動」の原則に照らしても、サービスのしすぎだ。 これを受けて、7月12日まで開かれた六カ国協議では、「北朝鮮の申告に対する検証メカニズムを構築し、朝鮮半島の非核化を検証する」ことで合意した。 しかし、北朝鮮は指定解除が可能になる8月11日を過ぎても、検証の具体的な段取りに同意しなかった。このため、当然のことながらブッシュは先送りを決めざるを得なかった。 それ以前の問題として、「報道発表文」によると、検証のための「三原則」―①施設への「訪問」②関連文書の提出③関係者への聞き取り調査―も合意された。 問題は、①の「訪問」である。各メディアは「立ち入り」と表現しているが、原文の英語は「visit」である。素直に訳せば「訪問」だ。現に外務省の訳では「訪問」となっている。 検証については、六カ国協議の場で米国は、精密機械の持ち込み、試料や土壌などサンプリング採取など具体的な提案をしたという。IAEA(国際原子力機関)が査察の際に行う「国際的基準」にのっとったものだ。しかし、北朝鮮は受け入れなかった。 「立ち入り検査」や「査察」でなく、「訪問」なら当然そうなる。 もう一つ。4月の米朝による事前折衝で、米国は「申告」の対象から、北朝鮮が持っている核兵器、高濃縮ウランによる核開発計画、シリアなどへの核拡散を除外した。現有の核兵器は周辺国とくに日本にとっては現実の脅威になりうる。 ブッシュ政権に残された時間が限られているにしても、これでは北朝鮮の「完全な非核化」はできない。「核保有」の抜け穴をつくり、むしろブッシュ大統領は、功績どころか汚名を残すことになる。 第一次核危機に際して、クリントン政権は1994年に米朝枠組み合意をまとめたが、六年後に核開発を続けていたことが発覚した。ブッシュ政権は同じ失敗を繰り返さないため、六カ国という多国間の枠組みを作ったはずだ。それなのに、「いつか来た道」をたどりつつある。 いまの北朝鮮にとっては、金正日を「決死擁護」する軍事独裁体制の維持、強化が最大の目標だ。そのためには、国民が餓死しようが、近隣のつまはじきになろうが、全くお構いなしという「非常識」な国家運営をしている。 当然、外交も常識から外れている。ところが、米国はどうしても「常識」の枠を踏み出すことができないようだ。「1+1=2」の思考方式にとらわれているといってもいいかもしれない。まず、いかに常識から外れているといっても、ある程度交渉を重ねれば、ものごとは少しずつ進展し、交渉当事者の間には信頼関係が生じる、という思いこみだ。 しかし、北朝鮮との交渉では、進展とか積み重ねというのは全く意味がない。一定の進展があっても、ある日突然、元に戻ってしまう。「賽の河原の石積み」だ。「上御一人」がだめと言えば、そこまでだ。要するに、交渉当事者に当事者能力がないのである。 これまでの南北関係などをみても数多くの実例がある。 先の六カ国協議。米国の首席代表、ヒル国務次官補は始まる前は至極ご機嫌だったが、終わったときは報道陣の呼びかけをほとんど無視して帰国した。コメントをしてテレビに出るのが好きなヒルにしては異例なことだ。 実は、協議の席上、ヒルが激怒したという話を聞いた。先に紹介した「検証」の具体案を北朝鮮に拒否されたときだという。おそらく、4月のシンガポールでの事前折衝で北朝鮮代表の金桂冠・外務次官との間で、具体案はかなり詰められていたのだろう。ところが、本番になったら、金桂冠は木で鼻をくくったような対応しかしなかった。 ヒルにしてみれば、六カ国協議が始まった2003年8月から金桂冠とは何回も顔を合わせ、昨年1月にはベルリンで、お互いにベロンベロンになるまでワインを酌み交わすほど肝胆相照らす仲になった、と思いこんだ。この信頼のうえに、交渉を一歩一歩進めてきたはずだった。 しかし、金桂冠は帰国して、「申告」に続いて「検証」を受けることになるが、単なる「訪問」という表現におさめた、見学程度ですみますとでも報告したか。信頼に基づいて協議を進めるような「常識」ある対応をすれば、自らの身が危うくなる。信頼が生まれたと見せかけて、いかに金正日の意向に沿った結果を出すか。それが最大の使命である。 いずれにしても、ヒルの希望的観測は打ち砕かれた。 ブッシュの任期間際が、米国の焦りの原因だろうが、さらに交渉に当たっているライス国務長官とヒルにとっても、なにか形の残る成果を挙げなければならないという強迫観念にとらわれているのではないか。まして、米国は魅力ある見返りはいくらでも提示できる。力とカネで、できないことはないはずだ、という大国意識もあるだろう。 他の国との交渉はそうしたかなり米国にとって都合のいい「常識」でも通じる。現にあれほどかたくなだったリビアのカダフィさえ、粘り強い交渉の結果、「核放棄」を受け入れた。 しかし、米国は金正日体制を崩壊させるのが本音、と疑心暗鬼の固まりになっている北朝鮮にとって、「常識」は体制崩壊の直撃弾だ。まして金正日体制の“守護神”である核を放棄するのは自殺行為と認識している。 米国の常識、核拡散防止体制の常識に従っていては金体制は滅びる。「1+1」を0にしたり、3か4、あるいは10にする常識から外れた交渉戦術が必須条件だ。北朝鮮が得意とする「恫喝外交」「瀬戸際外交」である。 まして、北朝鮮の対米、核関連の交渉担当者は、90年代からほとんど代わらない。米国の手の内というより交渉のやり方の弱点をよく知っている。 片や、米国は政権が替わるたびに担当者が代わる。しかもブッシュ政権では06年10月の北朝鮮の核実験の後、北朝鮮専門家の多くが国務省から姿を消した。「圧力」より「対話」重視路線に大きく転回した。となれば、「常識」にのっとっての交渉しかできない。この結果が六カ国協議の現状である。 常識は常識には通じるが、非常識をうちやぶるのは容易ではない。話は論理が通じてこそかみ合うが、そうでなければ「話にならない」からだ。 ただ、「非常識」で国家を運営すれば、無理を重ねざるを得ない。無理はそういつまでも続くはずがない。が、これも「常識」か。 |