大韓民国建国60年間の10人の大統領の物語 ~二人の偉大な大統領、二人の勤勉な大統領、 二人の反逆的大統領、二人の過渡期の大統領、 一人の「左派の宿主」の大統領、そして、一人の未知数~ 趙甲済 (2008.8.5) 1948年8月15日、大韓民国の建国以来、二人の偉大な大統領(李承晩、朴正煕)、二人の勤勉な大統領(全斗煥、盧泰愚)、二人の反逆的大統領(金大中、盧武鉉)、一人の「左派の宿主」大統領(金泳三)、そして軍事変乱を黙認した二つの過渡期の大統領(尹普善、崔圭夏)がいた。10人目の李明博は歴史にどのように記録されるだろうか? 李承晩建国大統領は、韓国を自由民主主義の理念の上に建て、「6.25動乱」と休戦期に米国を圧迫して韓米同盟という自由と繁栄の命の綱を創った。彼は、「6.25南侵」の直前に農地改革を断行して左翼の攻撃目標を事前に消滅させ、民主主義を教育したことで「不義と不正に抵抗することができる若い世代」を育てた。この若い世代が、「4.19学生革命」で李大統領を追い出したから、彼は自己成功の犠牲者であった。 米国の名門のプリンストン大学で韓国最初の博士になった彼は、東洋と西洋の教養を統合したカリスマと、世界の大勢を見抜くことのできる見識で、韓国を海洋勢力圏に縛りつけ、世界史の主流の中に入れた。1948年の建国当時、韓国人の中で知的能力が最も卓越した人がまさに彼だった。その彼が大統領になったことは韓国人において祝福だった。 アジアには二つの奇跡があるという。一つは、実用的な中国人が共産化されたこと。これは毛沢東の軍事的天才性に起因するところ大きい。もう一つの奇跡は、観念論の捕虜だった韓国人が共産化されなかったことだ。これは共産主義の悪魔性を1920年代にすでに看破した李承晩の指導力によるところが大きい。李承晩を媒介として、キリスト教的自由民主主義が大韓民国の憲法の中に入って建国の理念になったのだ。2008年の韓国が、世界10大の経済力、26位の生活の質を持った、先進国に近い国になるには、李大統領が創った自由と同盟の垣根が決定的に寄与した。 韓国の歴史上、800年ぶりに初めて効率的な軍事文化を導入して、後進国を先進国の入口まで押し上げた「近代化の旗手」であり「システム運営の鬼才」だった朴正煕は、「6.25戦争」の産物だ。この戦争で韓国社会において最強の集団になった国軍将校団が、無能な文民支配層を交替したのが「5.16軍事革命」だった。朴大統領は、「西欧式民主主義は神様でない」とし、民主主義を韓国式に変形させ、近代化を成功させた、真の主体思想家だった。彼は、富国強兵策をもって民主主義の物質的、制度的、階級的土台を作った。 いわゆる「維新独裁」を通じて政治のコストを最小化し、国力を組織化して能率を極大化した1970年代の朴大統領は、重化学工業建設に邁進し、これが成功して韓国を重量級の国家に乗せてあげた。1979年、朴正煕式の近代化の産物である都市中産層が、長期政権に嫌気が差し、知識人や学生たちと組んで政治的自由の拡大を要求してきて(釜馬事態)、これが朴政権の実力者だった金載圭情報部長を変心させ、大統領を射殺するようにしたから、朴正煕も自己成功の犠牲者だった。 1961年、朴正煕少将が導く約5,000人の革命軍がソウルに進入した時、張勉総理は逃げて連絡が途絶えた。軍統帥権者だった尹普善大統領は、国連軍司令官の鎮圧軍動員の要請を拒否したことによって内戦を防ぎ軍事革命の成功を保障した。朴大統領が殺害された直後、軍部の新しい実力者として登場した全斗煥将軍が、「12.12軍事変乱」を起こすや、崔圭夏大統領も流血事態を憂慮して鎮圧命令を下さなかった。尹、崔この二人の大統領は、この措置で批判されたが、北朝鮮軍と近距離で対峙している状況では、国軍を動員して国軍を鎮圧するように命令することは、そんなに容易なことでない。 全斗煥、盧泰愚二人の大統領は、将校の時期から朴大統領の寵愛を受けた縁と人脈で、混乱期を収拾することができた。全斗煥大統領は「12.12事件」と「光州事態」など流血事態を通じて執権したが、民主化の約束を守り、世界1位の経済成長を記録し、盧泰愚とともにソウル・オリンピックを成功させた。盧泰愚大統領は、1987年の「6.29民主化宣言」を通じて既得権を放棄して国民の大統領直選制改憲要求を受け入れた。この大統領選挙で盧泰愚は金泳三・金大中の分裂を利用して当選し、全面的な民主化を主導した。彼は共産圏の崩壊を積極的に利用して、中国・ソ連・東欧の国々と修交することによって、北朝鮮を後方から孤立させた。「新都市の建設」、「仁川空港」建設など社会間接資本への投資も積極的に行った。盧大統領は、また3党合党を通じて保守の連合政党である「民自党」(民主自由党)を作って金泳三氏を後継者として支援した。 安定した保守連合の構図の支援の下、1992年の大統領選挙で当選した金泳三大統領は、左派の影響下に入って、保守連合の構図を破り、韓国の現代史を全面的に否定し始め、左派の執権へと行くカーペットを敷いた。彼は保守を自称したが、事実上「左派的政策」で一貫した。彼の分裂的政策が、金鍾泌の忠清道勢力と大邱・慶北勢力を「民自党」から離脱させ、外換危機を招いた。こうような政策の失敗と保守分裂の構図の下で金大中が1997年選挙で大統領に当選した。 左翼活動家出身の金大中は、大統領になってから左傾的本性を表わした。彼は、現代グループを通じて4億5,000万ドルを金正日の海外秘密資金口座に送って、2000年6月の「平壌会談」を成功させた。秘密送金のため金正日に弱点が握られた身になった彼は、金正日の対南赤化戦略指針をそのまま受容した「6.15宣言」に合意したことにで、韓国を左傾化の道に追い立てた。金大中の路線を受け継いで、2002年に当選した盧武鉉は、金大中の反憲法・反国家的路線を一層深化させた。彼は偽善的平和論の伝導師になり、金正日の対南赤化戦略の核心である韓米連合司令部の解体、国家保安法の廃止、連邦制統一案などに積極的に同調し、韓国を北朝鮮政権の人質に転落させたあげく北の戦犯集団が核武装するのを許してしまった。 金日成が起こした民族反逆的「6.25戦争」のため約300万、金正日の社会主義失敗のため約300万人が死んだことで、共産主義の本性を示したのに、韓国の有権者は、選挙を通じて民主闘士に偽装した親金正日勢力を政権担当者にした。ドイツ人が選挙を通じてヒットラーを選んだのと同じ過ちを犯したわけだ。金泳三以後14年間の韓国政治は、朝鮮朝の朋党政治時代へ回帰した。国家エリート層が弱くなり、地域・階級的利害関係から国論が分裂し、国民の精神も多く壊れた。幸いに、民間部門が自由市場経済の原理に忠実して、傾く国を持ちこたえた。
左派の世の中10年を経ながら覚醒した多数の有権者が、2007年の大統領選挙で投票を通じて反逆的左派政権を平和的に終息させた。10人目の大統領は、韓国歴史上初の企業出身だ。有権者は、李明博大統領が仕事をし易くして上げるため去る4月の総選挙では、国会から親北議員たちをほぼ一掃させ、政権与党を過半数にしてあげた。 李大統領は、しかし就任直後から、「韓半島では理念の時代が終わった」、「私は保守ではない」と言うなど、背信の信号弾を上げてから、彼を甘くみた左翼の「ロウソク乱動」を招いてしまった。李大統領は、法執行を放棄しほぼ3ケ月間、大韓民国の心臓部を左翼の解放区として許した。健全な国民と民間部門が、公権力の助けなしで体制守護のため反撃に出たせいで、「偽りのロウソク」を消しはしたが、背信を感じた保守層が離脱したことで、李大統領の支持率は暴落した。 2008年8月1日、彼は分かれ目に立っている。金泳三類の「左派の宿主」の大統領になるのか、サッチャーやレーガンのような反共自由民主の闘士として再び生まれ変わるのか。選択は彼の分である。歴史が李明博大統領に課した責務は、「法治主義を定着させることによって幼い韓国の民主主義を成熟させること」だ。彼が「法律通り」を宣言し実践し始めると、韓国も彼も成功するしかない。「法律通り」の道は、自由統一と一流国家の建設に通じる。 www.chogabje.com 【2008-08-01 00:18】 |