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対北食糧支援の再開に先行すべき根本問題

~反対給付として、「主体農法」の放棄、「集団農」から「個人農」への転換、

    FAOなど国際機構の農業指導の受け容れを求めよ!~

李東馥 : 明知大客員教授、15代国会議員

(2008.5.23)

 

    李明博政府の最近の動きは、明らかに一つの必然的なことの進行を予告している。遠からず、「米」を主にする食糧や「肥料」の対北支援が再開されるということだ。李大統領はもちろん、柳明桓外交通商部長官と金夏中統一部長官の最近の発言や、与党ハンナラ党の動きがこの展望を裏付けしている。一見互いに食い違う話をするように聞こえる時がないこともないが、青瓦台と外交通商部および統一部関係者たちの発言も、噛みこなしてみれば、どうしてでも対北食糧および肥料支援を再開するのに必要な名分を確保するためありったけの力をふりしぼっている様子が歴然だ。

 

    この頃、政府の対北政策関連者らの言動は、見方によっては、「斧で自分の足の甲を切る」ということわざを連想させる側面がなくもない。李明博大統領の新政府の対北政策が果たして何かは明らかでない。今外交部と統一部は李明博「候補」が出した「非核-開放-3000」の構想を金科玉條のように話しているが、その内容に関してはすでに解釈が同じでないのが事実だ。青瓦台と外交部、そして統一部が好んで口にする「原則(?)」がある。李明博「当選者」が、さる2月1日、東亜日報、朝日新聞、ウォールストリート・ジャーナルとの共同会見で明らかにした「対北経済協力の4原則」の中の「国民的合意」の件だ。

 

    対北と米や肥料支援の再開問題と関連し、李明博政府が今心労焦思している部分がこの「国民的合意」の件をどのように充足させるのかということのようだ。これと関連して、政府が北に向かって取り上げているイシューが二つだ。その一つは去る二ヶ月間、北朝鮮が加熱させてきた「李明博大統領と彼の政府に対する『人身攻撃』的な誹謗宣伝を中止せよ」ということと、「『米と肥料がほしい』を要求してくれ」ということだ。金正日の北朝鮮が体験している食糧難が本当に厳しく、また彼の独裁政権が本当に「人民」を思う政権ならば、南の李明博政府が提示しているその程度の要求に応じそうもある。そうなると南から40万トンの米と30万トンの肥料が直ちに北に輸送され始めるからだ。

 

    だが、金正日の北朝鮮は頑強だ。対南誹謗は変わらず、「米と肥料が欲しい」と手を出すのを避けることも相変わらずだ。そうしながら、空を使う。その一方で、米国とは「食糧会談」を開き、「50万トンの米国産糧穀を貰う協商が順調に進んでいる」と韓国政府を癪に触らせる。北朝鮮がなぜこうするのか。それは北朝鮮のそれなりの経験律からだ。このように少し遊んでさえいれば、韓国の政府はおのずと折れると信じるからなのだ。しかも、韓国をさて置き、米国と駆け引きを成功させれば、韓国では大騷ぎが起きるはずだということを彼らは知っている。案の定、今ソウルでは、新しい、だが古ぼけた論議がまた始まった。「通米封南」の論議だ。「我々が米国に遅れをとってはいけない」という主張が起きているのだ。

 

    これで、ことの流れは少しずつ明瞭になっている。結局、この問題は、北核問題に関する米・朝協商で「申告」の問題が妥結(?)し、その反対給付として、米国の50万トンの対北食糧支援問題が妥結するのと同じ時に、韓国の対北食糧および肥料支援も再開だれる手順が予想されるのだ。まだはっきりしていないのは、特に食糧支援を、アメリカのように国際機構を通じてするのか、それとも南・北間の直接通路を通じてするかのことのみのようだ。これと関連し、最近注目を引くことは、「今の時期、人民の食糧問題、食べる問題を解決することより切迫して重要なことがない」と言ったそうな金正日の「語録」が、韓国言論の注目の対象になっているという事実だ。

 

    南側では、金正日のこの「語録」が北朝鮮の厳しい食料事情を間接的に認めたことであり、さらには迂回的に南側に助けを要請したものだと解釈しようという流れが形成されている。ところで、金正日のこの「話」が聯想させる過去事がある。1962年11月の「最高人民会議」でやった金日成の「お言葉」だ。1962年は、北朝鮮の第一次7ヶ年計画の2次年度だった。金日成はこの時、「今回の7ヶ年計画が完成すれば、全体人民には『米の飯』と『肉汁』に『瓦の家』や『絹の服』が供給される」と約束していた。しかし、北朝鮮はその時から何回も実施した「7ヶ年計画」のどれ一つも成功させられず、問題の『米の飯』、『肉汁』、『瓦の家』、『絹の服』の約束は、今に至るまで履行されずにいる。

 

    それから30年後の1992年初め、放送を通じて金日成の年例の新年辞を聴いていた南側の北朝鮮問題専門家たちは、呆気にとられざるを得なかった。金日成がとっぴに、新年辞の中で、30年前の「米の飯」・「肉汁」・「瓦の家」・「絹の服」の約束を蒸し返していたのだ。北朝鮮の食糧難は近くは農業政策、遠くは経済政策の失敗に起因したもので、根本的次元での農業政策にメスが加えられない限り解決が不可能なものだった。これに関しては一度耳を傾けるべき「証言」がある。「朝鮮民主主義人民共和国の農業科学院」の「研究員」で、1990年代初め脱北して中国を経て韓国にきた李民馥氏(今はキリスト教伝導師で対北風船送り運動中)の証言だ。

 

    彼は、農業科学院での「研究」や「実験」の結果、「『米こそ共産主義だ』といい、人民の食べる問題を心配される父上の首領(金日成)の憂いを解消させる方案」を発見した。それは北朝鮮の「集団農」の方式を、「個人農」に変えることだった。彼は、北朝鮮の食糧難の主犯は、農民らの所有本能を剥奪し、「増産意慾」を殺いだ「集団農」方式の農作業にあることを悟った。「実験」の結果、農作業の方式を「個人農」に変えれば、3-4倍の収穫増加が可能であることを発見し、彼はこの事実を書いた手紙を「朝鮮労働党中央党第1号(金日成を指す)」に発送した。数日後、彼の所に、朝鮮労働党中央党の命令で科学院の「科学指導局長」がやって来た。

 

    「科学指導局長」は、彼に「同志の話が理論的には正しい」、「だが、食糧生産問題は政治の問題であるため」、「同志が関係するものではないから、同志は研究事業にだけ専念しなさい」ということだった。党から突きつけられたことは、党が指導する「主体農法」の神話だった。李民馥氏は暫らくして彼自身の選択をした。「脱出」が彼の選択だった。最近の北朝鮮の宣伝媒体が伝えた、金正日の「人民の食べる心配」の口癖も、基本的には「主体農法」の強調に力点が置かれていることは興味深い事実だ。「優越性が確証された『主体農法』の要求通りに農作業を科学技術的にやれ」という件がそれである。まさに問題の「主体農法」が今日の北朝鮮の食糧難をもたらした農業政策の失敗の元兇なのに、である。結論は、農業政策に関しても、1990年代初めの北朝鮮と、今の北朝鮮の間には何の変化の跡形がないということだ。

 

    筆者が李民馥氏のことを書いて、季刊文芸誌「ラプルリュム」 18号(2000年冬)に掲載した、「金正日に送る北脱出農業専門家の手紙」を添付する

 

    我々は、少なくとも大韓民国の良心的な国民なら、北朝鮮同胞の飢えを無視し、顔を背けることはできない。だが、我々は北朝鮮に食糧を送る前に必ず考えなければならないことがある。それは我々の行動が、果たして「北朝鮮同胞」らに実際に助けになるのかという問題だ。我々は、北朝鮮の食糧難がいくら深刻だとしても、私たちが送る食糧が飢える「北朝鮮同胞」に実際に役に立つという保障がない状態で送ることは、もう一度検討し直す慎重な姿勢が必要だ。我々は、今まで韓国が送った食糧が、たとえその中の極少量が「展示用」か「欺満用」として一部が「北朝鮮同胞」らに伝えられる場面が写真や制限された「モニター」を通じ演出されたが、大部分は「軍人」と「党員」はもちろん、「政権」実力者らに分配され、彼らが食べて残る食糧が「農民市場」に流れているのでないかという疑惑を消せないことが厳然な実相だ。

 

    ここで対北食糧支援の前に、我々が必ず考えなければならない事実がある。それは、我々だけでなく、米国など国際社会が提供するものを含めて、私たちが提供する食糧では北朝鮮の食糧問題が根本的に、かつ完全に解決されないという厳然たる事実だ。今の北朝鮮の食糧受給事情は、ほとんど毎年100万トン以上の不足現象を露呈している。そのため、今年は例年より量的増加が予想されるにもかかわらず、外部から提供する食糧は、量的に北朝鮮の不足分を完全に埋められないのが事実だ。

 

    問題は、食糧支援の前に北朝鮮の食糧自給を可能にする対策が用意されない限り、対北食糧支援は毎年繰り返される「底抜けの瓶に水を注ぐこと」になるしかないということだ。何よりも、今後も繰返されようとする、今までの方式の対北食糧援助は、根本問題である北の農民らの食糧増産の意欲を刺激することには何の意味もなく、むしろ食糧問題に関して、一種の「乞人」根性を言える、対外または対南依存度だけを一層深化させる結果を招いているところに致命的虚点がある。

 

    北朝鮮同胞の困難を念頭に置き、彼らの苦痛を減らすための対北食糧支援は同胞の立場から自明の真理だ。しかし、我々の対北食糧支援は、北朝鮮の「政権」や「実力者」らにでなく、「同胞」たちに実際に役に立つ方法でしなければならない。私たちが支援する食糧が「同胞」たちにではなく、「平壌政権」の「実力者」らに流れて彼らと彼ら家族の腹を肥やし、残る「米」を「農民市場」に売って、彼らを北朝鮮版の資本主義式の「成金」にすることが許され続けられると、このような食糧支援はすることがしないものより悪いというのに疑問の余地がない。そのような場合、当然、こうした対北食糧支援はしてはならないのだ。

 

    このような状況は、李明博政府に明らかな選択を要求している。対北食糧支援は積極的に検討すべきだ。しかし、私たちが考える「条件」を躊躇せず、正確で明白に設定して提示し、この「条件」を北朝鮮が受け容れる場合にのみ、支援するという立場を公開的に闡明するだけでなく、その「条件」を堅持することが必要だ。北朝鮮がこの「条件」を受け容れるまでは、対北食糧および肥料支援を留保することが当然だ。この「条件」には必ず二つの「要求」が含まれるべきだ。一つは、分配の現場で国連による全数監視の下、「実需要者」への直接伝達が保障されなければならないということであり、もう一つは、対北食糧提供の反対給付として北朝鮮が「集団農」から「個人農」へと、農業政策の転換と、このため食糧農業機構(FAO)のような国際機構の指導を受け容れることだ。

 

    このような「条件」を提示し、履行させるにあたり「北朝鮮の面目を考慮すべきだ」などのばかばかしい遁辞が許されてはいけない。「人民の食べる問題を解決することより切迫し重要なことがない」という金正日の「言葉」に一抹の真正性があるなら、ここで金正日のような「独裁政権」の「メンツ」などを考慮する空間はないのが当然だ。それだけでなく、この際、対北食糧支援問題を核問題と結びつけるナンセンスも最早終止符が打たれなければならない。核問題は核の論理で、食糧問題は食糧の論理で解決するのが当然であり、正しいことであるからだ。

 

 

《添付》
金正日に送る脱北農業専門家の手紙

~季刊文芸誌「ラプルリュム」18号(2000年冬号)掲載~

 

    北朝鮮を脱出して韓国に来た農業専門家の李民馥氏が、e-Mailで二件の文書を筆者に送ってきた。一件は題名が「南から送る、中央党第1号(金正日国防委員長宛)の手紙(提議書)」となっていた。内容が非常に興味を引くものだった。この「手紙」の冒頭で、彼は自分がまだ北朝鮮にいた10年前、同じ問題で金日成当時朝鮮労働党の総秘書(中央党第1号)宛に「手紙」を送ったことがあったと明らかにした。彼は、ところで「今や南側からまた「第1号手紙」を書くことになり、心境を何と表現したらいいのか分からない」といい、「とにかく、南と北のわが祖国がよくなることだけを祈りながらこの文を書く」と、彼の複雑した心懐を書いた。

 

    「手紙」の主題は、北朝鮮の食料事情と農業政策に関することだった。脱北前、李民馥氏の身分は「朝鮮民主主義人民共和国の農業科学院の研究員」だったそうだ。彼は10年前、「科学者」の立場で、北朝鮮の食糧難の根本原因が北朝鮮の「集団農」方式にあることを発見した。彼は「手紙」で次のように書いている。

 

    「私は『個人農』をすれば『集団農』より穀物が3~5倍も生産されることを試験と経験を通じて確認しました。全国的に『個人農』を導入すれば、少なくても2倍以上は増収できると確信しました。後で脱北の途中、中国でこのことが事実であることを確認しました]現場の農民たちも『個人農』をすべきだと異口同音に話しました。私は『米こそ共産主義だ』と、生涯人民を腹がいっぱいにさせるために心配された父上の首領様の深慮を減らしてあげることになったと満足しました。

 

    中央党は、科学院に委任して科学指導局長を遠い現地の私に行かせました。(しかし)『あなたの話が正しい。だが、この問題は政治問題だ。あなたは研究事業だけをしなさい』という、思いがけない回答に私は驚きました。食糧難の解決の決定的方法を、政治の問題だとして無視するのはまったく理解できませんでした。人民生活の向上が党の政策の最上の課題という政治的堅持から見ても(私の提案は)矛盾しないからだ、と思われました。

 

    それから3ヶ月間、悩むうちに『個人農』を受け容れられない共和国の政治現実を悟るようになり、本当に失望しました。生きる意味を失い、さまよう内に、かつては夢にも思えなかった南行きの道に出ました。南に来た理由は単純です。『個人農」をすれば共和国の食糧難は解決できる、と思う存分大声で叫びたかったためでした。このように、南へ行くという意そのものも、北をあまりにも愛したからでした。

 

    共和国を離れず、中央党の言葉通りに研究事業のみをすることもできました。しかし、科学者の良心では、とうてい研究の意味が感じられませんでした。いくら良い技術を研究しても(このことを利用して)生産で効果を出せない『集団農』の体制だったからです。10年前、当時分析して見たら、共和国の農業生産の効果性は30%程度でしたが、現在は10%以下であると知っています。ここ(南側)に来てみると95%以上です。なぜこのように顕著な差が生じるのでしょうか?

 

    このような李民馥氏の「手紙」の内容は、筆者で一つの事実を回想するようにした。1998年の春、北京でのことだ。筆者は、中国共産党の招請で金鍾泌当時自由民主連合名誉総裁を御伴して北京を訪問し、中南海で江沢民中国国家主席を表敬していた。2時間余りの表敬が進められる過程で、江主席の話題の中で圧巻は、成功した中国の農業政策に関する自画自讃だった。彼は、「昨年の途方もなかった楊子江の洪水にもかかわらず、中国の糧穀収穫量は5.9億トンだった」、「農業政策の成功で、中国では食べる問題は完全に解決された」と大言壮語した。

 

    江沢民主席は、中国の人口が13億という事実を想起させ、もし中国が農業政策に失敗して食糧難に陥って13億の人口に飢餓問題が生じた時、隣接した国々に及ぼす負担を考えて見なさいと言った。江主席は、「そういう意で、中国が農業政策に成功し、食糧問題を解決したとのことは、中国が隣接した国々にだけでなく、世界平和に大きく寄与をしたこと」だとも話した。ところで、筆者の関心を引いたのは、中国の農業政策のこのような「大成功」の「鍵」がどこにあったのかということだった。

 

    これに対して江主席が明らかにした「鍵」は、毛沢東の死後の1978年、権座に復帰した鄧小平が採択した「家族農」だった。毛時代の農業は「人民公社」で象徴される「集団農」で、その結果は悲惨だった。毛は「大躍進」、「下放」、「大寨運動」などの強制性を持つキャンペーンをもって乗越えようとしたが、やればやるほど結果はもっと惨めになった。原因は一つ、「集団農」に執着したためだった。「集団農」は農民たちの「所有本能」を刺激するのに失敗し、農民が増産の意欲を喪失するようにしたのだ。

 

    復権した鄧は、「家庭農」制度を導入した。社会主義体制の下で、農地の所有権は相変らず国有であった。だが、農民の家族単位で、一定面積の農地を15年間無償で長期賃貸し、収穫に対してはごく少ない部分(10%未満)の費用の徴収を除き、その処分権を農民に戻すことが「家庭農」制度の内容だった。結果は大成功だった。農民たちは自分の財産の増殖のためもっと熱心に農作業をし、これに伴い農業生産性は向上され、結果的に糧穀の収穫は増えた。

 

    1998年の2月、江沢民主席は、その前年の1997年、中国はこの「家庭農」の制度をさらに一段階前進させたと言った。すなわち、「家庭農」の農地に対する「無償賃貸」の期間を15年から30年に延長し、まだ「土地所有権」は国家が持つものの、今度は「耕作権」の「自由処分権」を農民に与えたということだった。農民たちはもう彼らが耕作する農地の生産性を高め、そこから発生する「付加価値」を「権利金」で取りながら、これを商品化することができるようになった。「付加価値」を高めるために増産の意欲が一層鼓吹されざるを得なくなった。

 

    李民馥氏の金正日へ送る「手紙」は、まさにこの問題に触れている。彼は、北の農業技術が南に比べて後れたことではないと言うす。彼は「北と南を体験してみると、共和国の農業技術は、むしろ南側より優れた面が少なくなく、誇りを持ったことが一度や二度でない」と書いている。また農業生産の3大条件である種子と耕地面積、そして気候の面でも、北の農業条件が南に比べて劣悪でないというのが彼の診断だ。彼は種子問題と関連して、北の主種作物であるトウモロコシの種子は、南に比べて「相当進んでおり」、耕地の問題は「北の1人当りの耕地面積が南に比べて2倍であり」、「北朝鮮の気候が農業に悪くないということは中国の満州地方の農作業を見れば分かる」と話す。特に李民馥氏は、最近脚光を浴びている慶北大学の金順権博士の行動に対して極度に批判的だ。李氏の話を引用する。

 

    一部の南側科学者が『北朝鮮にとうもろこし植え運動』をやっています。正しく言えば、『とうもろこしの植え運動』は、とうもろこしを60万町歩以上も植えている北でなく、2万町歩しか植えていない南朝鮮で行うべきです。『太陽政策』のブームに乗り、いわゆる「スーパーとうもろこし」を持って北朝鮮の食糧難を解決すると豪語するのを聞く時はあきれます。ここに呼応して、南朝鮮の公営放送は、南の「スーパーとうもろこし」の種子が、北朝鮮のとうもろこしの種子より3倍も収穫が多いと報道する有様です。南側で自慢する「水原19号」のような「とうもろこしの種子」のレベルは、北では30年前にすでに作りました。また「スーパーとうもろこし」は、南にあるのではな、くむしろ北にあります。このことは町歩当り16トンも生産する「背丈の低いとうもろこし」が、80年代の中盤にすでに生産されていることを直接目撃してからこちらに来た、科学者の良心をもって証言するのです。私たちが北が嫌いで南へ来た立場ではあるが、それでも私たちは南側の人々に忠告します。真実に基づいて、人格的に真心で北を支援しなさい、といいます。

 

    結論的に、李民馥氏は、金大中政府の対北食糧支援政策の問題点を痛烈に指摘し、正攻法でこの問題解決に接近することを訴えている。今回に政府が60万トンの糧穀を北朝鮮に支援することにした決定に対し、李氏は次のように話している。

 

    「南側政府は、北の支援要請を受け容れ、経済が難しいのに、それでも60万トンの食糧支援を決めました。いや、要求全量の100万トンの食糧を支援したとしましょう。ところで、これを全部食べた後は、またどうしますか。また支援要請をするでしょうし、また支援はできるでしょう。しかし、いつまでこのように続くべきでしょうか。いつかは限界がくるはずです。食糧問題の根本を解決しなくてはならないということをいっておきます。」

 

    では、何が根本的解決策なのか。それは「集団農」から「個人農」への転換だ。北朝鮮の農業政策の根本的転換であり、これを通じ農民の「所有本能」を充足させ、増産意欲を刺激しなければならないということだ。それでは、今の時点での問題は何なのか。それは金大中政府の対北食糧支援政策が、このような北朝鮮の農業政策の根本的転換といかなる相関関係を持つのかに帰着する。ところで、李民馥氏が、金正日へ送る「手紙」の形を借りて、その中に盛った意味は、現政権の対北食糧支援政策の妥当性に対する強い疑問であることが読まれる。

 

    その理由は、事実は自明だ。私たちは北の場合、体制の性格上、「集団農」から「個人農」への転換のような根本的な農業政策の改革は、今飢えている人民大衆の力でできるものではなく、腹いっぱいに食べる権力層が動いてこそできることであるのを見過ごしてはいけない。私たちが今北に提供している食糧支援で、北朝鮮の住民全体の食べる問題を解決することはできない。結局、現政権の対北食糧支援政策は、飢えている人民は飢え続けるように放置し、今も食べている権力層は食べ続けられる状況を持続させる政策になるのだ。

 

    結論的に言えば、現政権の対北食糧支援政策は、食べる者は食べ続け、飢える人々は飢え続ける状況を持続させる政策に過ぎない。そして、結果的に、北を「集団農」から「個人農」へと転換する農業政策の改革の時期を無限に遅延させることになることだ。そういう意味から、金大中政府の対北食糧支援政策は、逆説的に、反人道主義的・反同胞愛的政策にならざるを得ない。それなのに、政府の広報活動は、この政策をあたかも最高の人道主義や同胞愛の次元で粉飾する欺瞞的な愚民政策を敷いているという話になる。

 

    李民馥氏は、「手紙」の末で「かつての『中央党第1号』宛の手紙は首領にまで届かなかったが、今回は(金正日委員長が)見ることになると信じる」と書いた。その理由は、「最近、金正日国防委員長の要求で、南側の主要新聞が直送されているといううれしいニュースを知っているからだ」という。しかし、筆者の考えでは、李民馥氏の「中央党第1号」宛の手紙は、金正日が見る前に、わが金大中大統領や彼の対北政策補佐陣が一読しなければならないようだ。

 

 

www.chogabje.com 【2008-05-17 11:05】