現代コリア

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婦女子の頭を棍棒で殴るな

~「南労党(南朝鮮労働党)」の後裔らの全盛時代、「赤い唐黍の畑」は復活した~

李法澈

(2008.4.1)

 

婦女子が有罪なら、法廷に立てて法の審判を受けるようにするべきで、私刑で頭を棒で殴ってはいけない。子供を持つ婦女子が頭を傷つき、脳に異常を来たすと、婦女子は勿論、子供にまで不幸が続き、恨みと憤怒が深まるのである。 

 

     数日前の深夜、故郷の親戚から電話がかかってきた。先塋の墓地らを掘りおこし、納骨堂を作るから、墓地を掘りおこす作業をする日、先塋に来るようにということだった。先塋には私の両親の墓地がある。両親の墓地を世話する子供は私一人だけなので、俗世を離れて割愛捨親を主張する私も、行かないわけにはいかなくなった。今度の故郷を訪れる時に両親の遺体を火葬し、故郷の山川に散骨してあげることが私の最後の責務だと思い、眠れぬ一夜を過ごした。眠れない夜、私は追憶の中の母を思い出し老顔を濡らした。

 

    母は30代半ばに年若な寡婦の運命になった。母は私を身ごもって6ヶ月ぶりに突然夫を虚しく失った。母は普通の貧しい田舎の婦女子らと同じく労働をしながらも本を読むのを好んだ。夜が遅くまで燈さんの灯りで本を友とし、家に夜の学堂(寺子屋)のようなものを作り、ハングルが読めない婦女子らにハングルを教えたりした。母にまた不幸が訪れてきた。「6.25事変」(韓国戦)が起きて私の故郷は「人民軍」に占領された。「赤い腕章」をして竹槍や棍棒を持った「南労党」のやかららが、敵対視する人々を人民裁判にかけむちゃくちゃに殺傷した時期、深夜に伯母がきて、伯母の夫が赤い腕章らに追われているから隠してくれと懇請してきた。うまく隠れていた伯母の夫は、友人の誘引策にだまされて姿を表わし、赤い腕章らに捕えられて竹槍で殺された。伯母の夫は「面長」をしたことがあるという理由で竹槍に刺されねばならなかった。

 

    赤い腕章の輩たちは、犯人隠匿罪で母の髪をつかんで支署へ犬のように引っ張って連れて行った。引きずられて行く母について私も支署に行った。「人民軍」が見守る中で「赤い腕章」らは「反動分子」を隠した母に悪口をあびせながら、棒で頭を乱打した。頭が割れ鮮血が散り乱れた母は意識を失った。泣き叫ぶ私に、「人民軍」は人民軍の歌を教えると急き立てた。「前へ友達(同志)よ...」、歌をはやく覚え力いっぱい歌えということだ。母の頭が割れ血まみれになって死んだように意識なしに支署の床に倒れているのに歌が歌えるか。「人民軍」は「反動奴」の子だから「人民軍の歌」を拒否するとし、げんこつで私の両頬っぺたを左右往復で殴った。息子も鼻血をだらだらと流さなければならなかった。母はその日頭を棍棒で殴られた後、気が触れた女になってしまった。正気だったり、気が触れたりするのだった。正気の時は「君を立派に育てられないね。君が妻をめとるのを見てから死ぬべきなのに…」。精神異常の母は後日自決してしまった。

    少年時代にお墓に一人でいる時、前世の縁が現れてささやいた。40代の初めの僧侶二人が話した。「オイ、墓地で一人で涙ぐむのを見ると前世にひどくも福を積まなかったんだな。君は、私たちのように僧侶になるべき運命だ。寺に行けばご飯もあり餅や果物など食べものも多い。そして勉強もできる。私たちとともに仏様のそばへ行こう。君は俗世に縁がないのさ」。私は彼らを付いて行った。本が好きだった母の遺伝子のせいか私も本が好きだった。仏教界は、私のような悲運の出家者などに無料で食べさせ泊まらせてくれて、勉強ができる道を開いてくれた。

    韓国戦(6.25動乱)の以後、山寺には三つの類型の出家者が多かった。まずは仏心の深い家庭の子供らが出家為僧したもので、二番目は私のような境遇の出家者たちであり、三つ目は「6.25動乱」の時「赤い腕章」の父兄を持った子弟らが山寺に避けてきた。仏教界は慈悲の門中だ。老師は、「南労党」に憤る私のような人々と、大韓民国に怒る南労党の後裔らを、一ヶ所に集めて俗世の怒りを皆忘れ、ただ仏教人として新しく生まれ変わるように教えた。話頭を専ら果てしない衆生を済度(衆生無辺誓願度)することにしろ、ということだった。韓国仏教は左右翼の後裔らに慈悲を施した。

    だが、喩えると、「赤い唐黍の畑」を刈ったとして消えたことではなかった。「南労党」の前歴がある湖南政治家(金大中)を中心に、仏教界の南労党の後裔らが派手に復活した。その湖南の政治人(金大中)が国家元首になった時、湖南政治人の下手人(盧武鉉)がまた国家元首になった時、消えたと思った「赤い唐黍の畑」が派手に復活し、勢いを馳せらせ始めた。山寺の中で隠忍自重した南労党の末裔らが、南労党だった父兄らが歩いた道をあたかも競走のバトンを受けて走るようにするのだ。南労党の後えいたちは、仏教の正覚よりは主体思想を所依経典としてするようだった。彼らは争うように平壌行きをしている。彼らは1600年余りの歴史と伝統のある韓国仏教界の指令塔を掌握するに至った。彼らの圧力によって、いつからか、曹渓宗の総務院長が当選すれば入朝謁見するように平壌詣でをさせている。面壁をしたり書冊に向かったり、祈祷、木魚を打った私は、木魚を置き、深憂の目で仏教界を陣地化する南労党の末裔等を見つめざるを得ない。2007年、私は筆を執り、韓国の歴史を回帰させようとする南労党を叱り始めた。

    仏教界に陣地を確保する「南労党」の後裔らのいう仏教の中興は空念仏だ。彼らは、北朝鮮にはただ一人の削髪為僧した僧侶も無いということを確かに分かっていながら、北朝鮮政権が中心になって祖国統一を成就すべきだと主張する。彼らは、韓国仏教界の世話になりながら、僧侶が全く無い世の中を作ろうと狂奔しているのだ。彼らは金正日のため、等しく「米軍撤退、国家保安法の廃止!」に全力投球をしている。彼らが、政府の次に不動産が多く、観光地が多く、天文学的な寺刹の財政を、「対南赤化事業」に悪用しようとする時、護国仏教の伝統を主張する大韓民国の仏教界は、大災難の台風にまきこまれることになってしまうのは勿論、大韓民国に急速に広がる癌的な憂患に違いない。大韓民国を守護しようとする愛国師父・大衆の覚醒と行動が切実に必要な時である。

    前記したように、私は母の遺体を荼毘に付すために来る4月2日、故郷へ行くことになる。南労党の「赤い腕章ら」の棍棒で殴られ頭が割れた母の骸骨を抱いて、声を抑え泣きながら懺悔しなければならない。私は幼かった時、正気でない母を恥ずかく思ったことがあったからだ。

    最後に、「北労党(朝鮮労働党)」の金日成と南労党の朴憲永が、権力への貪欲から、外勢であるソ連軍と中国共産軍を引き入れ戦争を起こさなかったら、南北の数百万の罪のない生命が「魚肉」にならなかったはずだ。父伝子伝なのか、金正日は韓半島を自分の王国にするために、親よりもさらに悪辣に罪のない韓国人の命を「魚肉」にしようとすることか、国際社会の非難にも核爆弾を廃棄せずにいる。南労党の後裔らは、相変らずいたる所で「北核」を前面に出して大韓民国に恐喝脅迫を行い、「対北むやみな支援」を叫び、遂に大韓民国を抹殺しようとしている。私は悲嘆の心情で独白する。「婦女子の頭を棍棒で殴る赤い腕章の時代は二度とあってはならない。」

 

 

インターネット独立新聞 【2008-03-28 12:50:11】

僧侶 李法澈