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李承晩と金日成の差異が南北の差異

~結局、勉強し教養のある人と、無知な者の差なのです。

李承晩と朴正煕の二人は国民のためのことを、金父子は自身のためのことをしました~
趙甲済

(2008.3.28)

 

    北朝鮮にいる同胞の皆さん!こんにちは。今年は大韓民国の建国60周年になる年です。北朝鮮もいわゆる「建国60周年」になる年です。もちろん、韓国と北朝鮮は互いに国家としては認めていません。ただ、権力の実体として認めて互いに対話をしています。(韓国では)建国60周年になって李承晩大統領に対する関心が高まっています。

    大韓民国の60年の歴史中で、李承晩大統領が12年、朴正煕大統領が18年間を統治し、お二人を合わせると30年間を統治したことになります。北朝鮮では金日成と金正日の二人が60年間をずっと治めています。李明博大統領は大統領としては十人目です。韓国では大統領が10人も変わり、北朝鮮では金日成・金正日の父子が代を引き継いで統治しています。

    李承晩と朴正煕、金日成と金正日を比較して見ると、なぜ韓国は成功し、北朝鮮は失敗したのか、その原因が分かります。

 

    (南北の)二人を比較する表を作ると、おおよそこのようになるでしょう。 李承晩と朴正煕は30年間統治し、金日成と金正日は60年間を統治しました。李承晩と朴正煕は、海外で勉強し過ごした経験があります。金日成と金正日は、海外旅行を余りしなかっただけでなく、満州と北朝鮮という地域に限定された生活をした、一種の「国内派」だと言えます。

    李承晩と朴正煕の二人は勉強に教養のある人でした。 李承晩は韓国で科挙試験に合格するために熱心に漢文を勉強をした人で、米国に渡ってジョージ・ワシントン大学、そしてハーバード大学やプリストン大学で韓国人最初の博士学位を取った、当時としては最高のエリートでした。

 

    朴正煕大統領も大邱師範を卒業し、満州軍官学校を経て日本陸軍士官学校、そして解放後は韓国の朝鮮警備士官学校で勉強しました。また米国で研修しました。このようにこの方の経歴を見ると、学ぶ経歴が非常に長いです。

 

    金日成と金正日は、正規の教育をほとんど受けていません。結局、 勉強し教養のある人と、無知な者の差なのです。また他の差異は、李承晩と朴正煕は海外経験が多く、学んだことが多くて世界情勢を見る目が確りしたので大韓民国を発展させるにあたって開放政策を取りました。

 

    世界と連係しながら日本と修交し、米国と同盟を結ぶ開放政策を取りました。金日成と金正日は、今まで北朝鮮を一つの監獄とし、閉じ込めておき、自分たち同士で何かをやってみようとする閉鎖政策を取りました。開放すると発展し、閉鎖へと行くと必ず失敗する、というのが人類歴史において最も確実な教訓の中の一つです。

 

    李承晩と朴正煕の二人は、国民のための仕事をしました。国家のための仕事をしました。富国強兵政策を取りました。国を金持ちに変え、それを土台にして強力な軍隊を創るというのが李承晩と朴正煕の政策でした。金日成と金正日は自分のための政策を取りました。彼らの側近たちのための政策を取りました。したがって富国には失敗し、強兵には成功しました。だが、その莫大な軍事費を維持し続けるために国は滅びています。

 

    李承晩と朴正煕の二人は自主派です。ところが、金日成と金正日はソ連の操り人形でした。李承晩大統領は米国に対抗し、米国と戦いながら、米国を説得して大韓民国を作りました。

    だが、金日成は、スターリンが思う通りの、操り人形の役割を充実にしました。金日成と朴憲永は1946年頃スターリンに呼ばれました。スターリンが二人に試験問題を出しました。各々別に部屋が与えられ、そこで答案を書くようにいわれました。スターリンは、金日成と朴憲永が書いた答案用紙を比較し、金日成を「権力者」として選択しました。また、北朝鮮の「憲法」とか、北朝鮮の「朝鮮民主主義人民共和国」という「国号」までも、すべてを、北朝鮮の人がひとりも参加しなかった会議で、スターリンが決めて平壌へ送ったものです。

 

    つまり、李承晩と朴正煕は自主派で、金日成と金正日は事大主義者と言えます。だが、李承晩と朴正煕は、米国と親しかったのです。日本とも修交をしました。西側の世界、資本主義国家、発展する海洋文化圏の国々とはみな友人になりました。しかし、金日成と金正日は、ソ連や中国という(政治的に)最も後れた国家、「大陸国家」、全体主義の国家、資本主義や民主主義が発展しない国家と友人になりました。すなわち、李承晩と朴正煕は良い国と友人になり、金日成と金正日は「悪い国」と友人になりました。

 

    李承晩・朴正煕と、金日成・金正日のまた別の差が何だったのかと言えば、李承晩と朴正煕は経済を先に発展させてその次に軍事力を発展させ、その次に統一へと進む政策を取りました。金日成と金正日は、ひたすら軍事力だけ発展させましたが、それを「先軍政治」といいます。先軍政治は軍隊が優先という意味であり、国民の生活を苦しくしています。

 

    皆さんの生活が世界全体のレベルからしてどの程度の位置なのかという事実を申し上げると、言い難いですが最も貧しいグループに属します。1人当りの国民所得が約300ドルですが、その中で100ドル程度は軍事費につぎ込まれるから皆さんが使えるお金は年間200ドル程度しかありません。

 

    それも、闇市の相場を基準とすると、その200ドルが、100ドルにもなり50ドルにもなるのです。アフリカにもこのように貧しい国はありません。韓国の1人当りの国民所得は今2万ドルを超えています。したがって南北は今100対1の差ができています。韓国の人口が北朝鮮の二倍ですから、事実は韓国と北朝鮮の国力の差は200対1になるわけです。ただし、軍事力を除いた状態での話です。このように全体国力において押えられた金正日は、核開発を通じて生き残りを求めていますが、それは生きる道でなく死ぬ穴になっています。

 

    しかし、北朝鮮の同胞の皆さんが金正日と共に断崖から落ちてはいけません。李承晩・朴正煕と、金日成・金正日のさらに決定的な違い、一言で目に見える差異は何でしょうか。韓国には李承晩と朴正煕の銅像が一つもありません。ところが、北朝鮮の全土は、金日成と金正日銅像や記念物で溢れています。

 

    韓国には国を発展させた指導者の銅像がないが、北朝鮮には国を滅ぼした指導者の銅像が数万もあります。この差は、まさに韓国は民主主義国家であり、北朝鮮は1人の「首領支配体制」ということです。これは本当に歴史の悲喜劇です。それで韓国では建国60周年をむかえる今、李承晩大統領の銅像を再び建てるべきだという運動が起きています。

 

    本来李承晩大統領は生前に銅像を何箇所かに建てました。南山公園にも李承晩大統領の銅像がありました。しかし1960年「4.19革命」で学生たちが李承晩大統領を下野させ、その銅像をひき降ろし壊してしまいました。全国的に李承晩大統領の名前がついた、また(その方の号が雩南ですが)「雩南」という名前がついた公園や通りの名前もみな消されました。

 

    だが、今や李承晩大統領を正当に見るようになったので、建国60周年をむかえ、必ず銅像を建てようという主張が提起されています。李承晩大統領と関連したおもしろい話を一つ話しましょう。1954年7月でしたが、当時李承晩大統領は米国に行きました。アイゼンハワー米国大統領と首脳会談をするために米国に行き議会で演説をしました。この演説で、李承晩大統領は、アイゼンハワー政府が取っている非常に曖昧な対共産圏政策を面と向かって批判しました。

 

    それでアイゼンハワー大統領をとても怒らせました。1954年7月30日、ホワイトハウスで二番目の首脳会談が予定されていました。李承晩大統領はホワイト・ハウスのすぐ隣の迎賓館に泊まっていました。その時米国国務省から首脳会談の後発表する共同声明書の草案を持ってきました。その草案に李承晩大統領がとても嫌いな件が一つありました。韓国は日本との関係において友好的に臨むという件でした。

 

    米国は当時、韓国と日本が国交を樹立して、東アジアで米軍の作戦が少し楽にできるようにしようと、李承晩政府に日本と国交を正常化するように圧力をかけていました。これに対して李承晩大統領は非常に神経質な反応を見せました。李承晩大統領は、米国が日本を重点的に支援することも嫌いで、韓国が日本に比べてまだ国力が弱いから、国力を大きくしてから修交をすべきだという考えを持っていたのです。

 

    李承晩大統領は共同声明書の草案を見て腹が立ちました。それで参謀たちを集めました。李承晩大統領は、「この連中が私を呼んで罠にはめようとするようだが、それならアイゼンハワー大統領に会う必要がない」と話し、会談に参加しまいとしました。

 

    会談が10時に予定されていたのに、李承晩大統領が動かなかったです。だから、ホワイト・ハウスからなぜ来ないのかと督促の電話がきました。李承晩大統領の側近たちが「このようにしてはいけません。行って話をすべきです。会談は開かなければなりません」と説得して李承晩大統領は気が向かなかったが、やっとホワイト・ハウスに行きました。

 

    10分遅れました。アイゼンハワー大統領は、李承晩大統領と向かい合って座るやいなや韓国と日本の国交樹立が必要だと言い出しました。そうでなくても怒っていた李承晩大統領は、「私が生きている限り、日本とは絶対付き合いません」と言い切ってしまいました。

 

    アイゼンハワー大統領は愛称がアイクです。とても魅力的な笑いをよく笑う人です。柔順なこの人が腹が立って、部屋を出て隣室に行ってまいました。この時李承晩大統領がアイゼンハワーの背中を見ながら、韓国語でこのように大声を出しました。「あんな不届き者がいるのか! あんな」。もちろんこの言葉は通訳されませんでした。アイゼンハワーはやっと怒りを抑えて会談場に戻ってきました。今回は李承晩大統領が席を立ちました。

 

    「私は外信記者クラブで演説することになっているので、準備のため先に行きます」と言い残しては出てしまいました。困り果てたのは参謀たちです。当時駐米大使がダラス国務長官を説得をし、私たちだけでも会談をするよう提案し、会談は継続され、ここで合意がなされました。

 

    合意内容は米国が韓国に対して軍事援助4億2,000万ドルと経済援助2億8,000万ドルなど総7億ドルの援助を約束するということでした。この時李承晩大統領の年齢は79才でした。アイゼンハワー大統領が当時64才だったから李承晩大統領が十五才上でした。

 

    アメリカからそのように多くの助けを受け、「6.25事変」の時米軍の援助で韓国を守った、とても不利な位置の弱小国(今は韓国が強大国へ向かいますが)の、当時は韓国は弱小国でした。その大統領が、国家利益を守るため米国の大統領に向かって「不届き人だ」と悪口を言い会談も破りながら、徹底して国益を守りました。こういう李承晩を北朝鮮では何と呼びますか? 米国の手先だといいます。

 

    さて、金日成はどうなりましたか。金日成がスターリンに悪口を言えたのでしょうか。金日成がスターリンに悪口を言ったら直ちに暗殺されたはずです。李承晩と金日成の差異、それがまさに韓国と北朝鮮の差異です。北朝鮮にいる同胞の皆さん!またお目にかかります。ありがとうございます。

 

 

www.chogabje.com 【[2008-03-26, 09:51】