現代コリア

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やりきれない

田 中 明
(2007.5.15)


 三月一九日、北京で再開された六ヵ国協議は、北朝鮮が「凍結されているバンコ・デルタ・アジアの資金の全面返還が、確認されるまでは出席しない」と言って帰国してしまったため、実質的協議は何もなく休会になった。


 核が生き残りのための唯一の武器になっている北朝鮮が、それを放棄することは考えられないから、これからも同じようなことが繰り返されよう。その度に、イラク問題その他でシンドイ米国は、アメを与えてくるだろうと、北朝鮮は踏んでいるのだろうか。


 それとも金融制裁で財布が底をついた北朝鮮は、何がなんでもバンコ・デルタの資金を取り戻さなければならないと、協議ボイコットに出たのだろうか。


 おそらく両方だろうが、見ている方の目には「威勢のいい北朝鮮、あしらわれている米国」というふうに映る。まあ、米国としては、緊要度の低い極東の問題は、適当な線でまとめていきたい、というところであろう。


 だが、日本はそうはいかない。そんなことをしていたら、北朝鮮はこれまでと同様、カサにかかった態度で、日本に罵声と要求を繰り返し、拉致のような無道な所業をやらかしかねない。そういう彼らのやり口にはもう我慢できない、というのが大多数の日本人の気持ちである。そのことを、このさい日本は彼らにしっかりと知らさなければならないのだ。いい加減な「解決」で、これまで通りの環境を温存したら、イチャモンをつけたが勝ちということになってしまう。それでは東アジアの平和と安定は、永久に望めないであろう。


 だから、日本は米国の態度とは関係なく「これまでとは違う」意志と行動を示さなければならない。いまはその好機である。だが日本には、米国の妥協的態度を見ると、たちまち「孤立する恐れあり」というので、北朝鮮によしみを通じようとする者が出てくるのだから情けない。


 朝鮮に対する激しい国民の怒りは、決して拉致だけに対するものではない。それはここ何十年、北朝鮮の傲岸無道な態度と、それに抗議するどころか、ずっと調子を合わせてきた日本政府に対し、鬱積したものがあったからである。指導層は、そのことを胸に刻んでおいてほしい。
 そんな状況を見ていると、はからずも十何年も前のことを思い出した。

 


 私のいた大学には、留学生別科という、日本の大学に入学を希望する外国人に、入試準備の学習をさせる部門があった。研究所の同僚であったS君は、そこに出張して「社会」を教えていたが、ある日「きょうはもうイヤになってしまった」と、訴えてきた。


 その日、彼は試験をしたという。ところが、かねて聞いていた通り、カンニングをする学生があまりにも多い。たまりかねた彼は、なかでも目に余る韓国人の学生二人の答案を没収して、採点される資格なしと宣言した。


 なにやら抗議の声をあげるのを聞き流して教員控室に戻ると、くだんの学生二人がやってきた。まず他国で暮らす留学生である自分たちの窮状を訴え、処置を撤回してほしいと言う。S君は「入学試験にパスするためにやっている勉強なのに、カンニングしていては、自分の本当の力が分からないではないか。そんなつまらぬ不正行為を、見逃していては、君たちのためにもならぬ」と突っぱねた。


 すると、彼らは猛然と抗議してきたという。いろいろとその内容を聞いたが、いまはもう覚えていない。でも、ただ一つだけは記憶に残っている。それは、こういう奇想天外なものだったからである。


  「試験とテストは違う。先生は先週『テストをする』とは言ったが、『試験をする』とは言わなかった。試験だと言われていたら、僕たちも勉強してきただろう。だが、テストだというので準備してこなかった。もし、先生が正確な言い方をしておれば、こちらも準備してきて、カンニングなどしなかったはずだ」


 これを聞いたときは、私は思わず吹き出し「ふーん、そういう言い方もあるのか」と感心(?)し、かつ呆れた。彼らは試験が終わった直後にやってきたのだから、作戦を練ってやって来たのではない。だから、この〝名案〟は、自分たちで編み出したものではあるまい。おそらく彼らの国には、そういう理屈を発明して通用させた奴がおり、それを借用したのだろうと思われた。


 それにしても「テストだから準備しなかった。だからカンニングしても、ガタガタ言うな」というのは、すごい話である。ここではカンニングは不正行為だという意識が、きれいに吹っ飛んでいる。


 こんな理屈を、もちろんS君は取り上げない。すると二人は、こんどはS君の授業批判にホコ先を向けてきた。「先生の授業のやり方には、僕たちだけでなく、多くの学生が不満を述べている」と、あれこれ言い出した。うんざりしたS君は「そんなら君たちで私の排斥運動をやればいいじゃないか。私はいつ辞めてもいいんだよ」と言ったそうである。


 と、その瞬間、二人はがばっと土下座して「すみません」と謝ったそうである。これにはS君もびっくりしたらしい。「二人はサインなど交わしてません。全く同時に電気ショックでもかけられたように、呼吸がぴったり合ってました。彼らには『もう、こいつには何を言ってもダメだ』というカンが働いて、変身に出たのでしょうか。でも、そうしたカンが二人同時に閃いてあんな行動に出るとは、共感帯みたいなものがあるんですかね。それって文化ですかね。ともかく、さんざん文句を言ってきた結末が、これでしょう。若い者のすることではない。浅ましいとしか言いようがなく、やりきれませんでした」と嘆いていた。


 S君も、彼らが最後まで自分を非難攻撃して、ケンカ別れになったのなら、腹は立てても、やりきれないという気持にはならなかったろう。それを聞いているうち〝テスト・試験理論〟に吹き出していた私も、だんだん憂鬱になってきた。この留学生がどんな環境のなかで、このようなカンと生活技術を体得してきたのかと想像すると、こちらまで思い出さなくてもいいイヤな経験が、蘇って来たのである。


 学校からの帰途、また韓国嫌いが一人増えたな、と胃が重たかった。

 


 こんなことを思い出したのは、六ヵ国協議などで、毎日報道される北朝鮮のマヌーバーを見ていると、同じようなやりきれなさを覚えるからである。


 外交戦で勝った負けたという話は賑やかだが、それとは別の次元で、諸外国の人々の胸には「コリアンはやりきれない種族だ」という厭悪の念が積み重ねられているのではないか、という気がする。


 六ヵ国協議の成り行きをみて「北朝鮮はなかなかしたたかである。米国の強硬路線を軟化させた」と言う向きがあるが、それがはたしてあの国の評価を、本当に高めているであろうか。


 テレビの音声を止めて、画像だけ見ていると、まるで違う印象を受けることがある。それを北朝鮮に応用すると、どうであろうか。高声で米国を非難する言葉を切ったら、そこに見られるのは、ひたすら外国からカネとモノを貪り取ろうとしている姿だけである。そこまで国をダメにした指導者を賛仰させようとする行事がよく放映されるが、音楽とナレーション抜きのそれは、血の通わぬ人形芝居のように見える。


 このところ北朝鮮は、国際会議の主人公になったために、世界はそうした実像を、否応なしに見ることになった。だから、たとえ北朝鮮が交渉に成功して、なにがしかの物質的利得をえたとしても、与える方は、観光地でしつこくまつわりつく物乞いに、財布をあけるような気持であろう。そこに尊敬の念が入り込む余地はない。


 朝鮮民族は誇りが高いとは、よく言われるが、いま進行していることは、そうした通念を打ち崩す方向に向かっている。朝鮮に関心を持つ者としては、やりきれない。