私もご指摘の「本質は変わらず」という点では吉田さんと同じ認識をもっています。 ただ、ここから先が同じかどうか分かりません。韓国人から見た日本人も実は「本質はかわらない」のではないでしょうか。多分、多くの韓国人はそう思っているに違いありません。いま少し普遍化して言うなら、アラブ民族の例を引くまでもなく、民族の本質など、どこの民族でもそう簡単に変わるものではないと思います。
吉田さんは、吉田さんの歴史観・価値観・国家観を変える意思は多分ないと思います。「変えない」という点では、日韓同じなのではないでしょうか。
「諸君」2月号で私が「朝鮮半島に住む人たちも、日本人も、困難なことであるが、お互いに自国の歴史認識や価値観を相手に押し付けてはならないのである。それぞれの違いを相互に認め合って共存(妥協)していく以外ない」(150頁中段)と書いたのは私に次のような経験が基になっています。
1960年半ばの話ですが、私は日本朝鮮研究所と総聯という団体同士の具体的な交わりの中で、朝鮮人の「顔を見るのも口を利くのも嫌だ」という激しい嫌悪感・葛藤に陥り、ピンチに見舞われたことがあります。 運動の中で長い時間をかけてこの「嫌悪感」は何かを考え続け、得た結論は「自分と彼らは違う価値観を持っている」という極めて単純なことでした。
日本民族の本質だって外国人から見れば変わっていないのです(私は変わったと思っていますが)。そう気がついてから、嫌悪感とか、イラつくこがなくなりました。もったいぶって言うなら「自己の相対化」、にいたったということかもしれません。
朝鮮半島に住む人たちが自己検証抜きで「反日」をやっている限り日本は安心しておれます。自民族の弱点を見つめ、反日がなくなったときの朝鮮半島は競争者として警戒しなければならない存在だと思っています。
吉田さんのご意見とは直接関係ないことですが、韓国大統領選挙に関連して言うなら、落選した李会昌候補を正当に評価すべきだというのが小生の意見です。その第一は、韓国民主主義を救ったことです。氏が立候補しなかったら、(勿論推論ですが)北のテロで李明博候補が凶弾で倒れていた可能性が高かったことです。李会昌氏の立候補で金正日のテロが封じられたのです。この点は、どんなに李会昌氏を評価しても仕切れないほどのものがあります。
功績の第二は、李明博候補が世論に迎合、金正日政権批判を手控えたのに対して、右派の支持層が李会昌氏支持に回り、李明博の日和見(動揺)を牽制したことでした。第三は、保守票を拡大し来年4月の総選挙で真性右派の拠りどころ(政党)を提示したという点で、李会昌候補の言動は高く評価されるべきものではないでしょうか。
吉田さんのご意見の中に山崎拓衆議院議員に対する批判もありましたが、山崎氏については、別途機会を見て触れたいと思っています。ご意見有難うございました。