威張るな民主主義 田 中 明 (2007.11.15) 本号で『現代コリア』は店仕舞いをすることになった。経済的に立ち行かなくなったからだ。長らく編集同人みたいな形で関わってきた者としては、残念至極である。私などカネに縁のない人間は、佐藤所長が資金繰りに苦労しているだろうと思いながらも、なんの手助けもできなかった。世間と折り合い悪く暮らしてきたから、どこからかカネを引き出してくる才覚もない。無責任な話だが「いままで何とかやってきた佐藤さんだから、これからも何とかしていくだろう」と、拱手傍観してきたというのが実情である。 佐藤さんは侠だから、台所の苦労をわれわれには喋らなかった。私らの内証を知っていたから、言っても仕様がないと思っていたのだろう。こちらも、それをいいことに、拙文を呈するだけで任終われりとしてきた。役立たずな友人だったとしか言いようがない。お恥ずかしい次第である。 さて、このようにおのれの無能を改めて意識させられながら、これから私は終刊号に載せる連載の文章を綴らなければならない。しんどい気分である。でも連載の義務を逃げるわけにはいかない。いまは、これまで言い残してきた胸中の鬱の一部でも述べて、責を果たしたいと思う。読者諸賢、なにとぞ諒とされたい。 * いまから一六、七年前、大学の研究所にいて、週一コマ、学部の授業を受け持っていたころの話である。少し教室の空気がだれてきたとき、眠気ざましによくこんな冗談を言ったものだ。 「君たちはかわいそうだな。君らが私の年(当時六五、六歳だった)になるころ、日本は米国の一州になっているか、中国の一省になってるだろうからな。オレはもう死んでいるから、知ったことじゃないがね」。 すると「そんなことぉー」という抗議とともに、あちこちからブーイングが起こったものだ。それを聞きながら、私は「よしよし」とほくそえんでいた。なんやかや言っても、日本は大丈夫だと言われているような気になれたのである。 だが二、三年すると、様子が変わってきた。同じことを言っても、学生は「このじいさん、何かヘンなことを言ってるよ」と、面白くもない顔でなんの反応も示さなくなったのである。以前の学生は、コンパでも話が弾んだものだが、僅かの年差でこうも違いが出てくるものかと、ソラ恐ろしくなった。 それで講義題目の「東アジアの政治」などは無視して、授業の始まりごとに、短歌を五首、俳句を五句板書して「とにかくこれを覚えろ」と言った。「覚えておくと、いつかこれらの詩のすばらしさがズシンと腹にこたえて分かるときが来る。そうやって、みんな日本人になっていくんだ」とぶち上げた。教師臭く「いいか、期末試験では、どれだけ覚えているか書かせるからそのつもりでいろよ」と脅しもした。ずいぶん乱暴な教師だったわけだ。 あのころの私は、日本が第二の敗戦の過程にあるという思いから、いらいらしていた。一九四五年の敗北は軍事上のものだったが、いまは日常生活の隅々までがアメリカナイズされ、日本の影がどんどん薄くなっていくような気分だった。 人々の食べ物の嗜好から、歌舞のリズム、さらには日常の身のこなしまでがアメリカ風に変わって来たのを見ると、日本はアメリカニズムに領略されるばかりで、対抗できる思想と習俗を持たぬのかと情けなかった。大東亜戦争は米国の物量に負けただけではなかったのか、という敗北感に捉えられたのである。 * こんな傾向がつづいていると、やがて大きな犠牲を招くことになるのではないか――と私は思った。朴正煕政権治下の韓国で、私は頻発する流血デモ事件や、多くの人が獄苦をなめるのを見てきた。反政府の人々は、みずからの行動を民主化運動と称して米国の支援を期待し、それに応じて米国が応援したことから、闘争は激しいものになった。運動家たちはメリケン渡来の民主主義という観念を掲げることによって、みずからの政治運動に普遍性を与え、望み通り外部の支援を導入した。おかげでその分、権力の応戦もきびしいものになった。それを眺めながら私は「必要以上の犠牲が払われている」という印象を抱きつづけてきた。 成心なく眺めれば、あの運動は、軍人執権の出現という、武人蔑視が伝統だった韓国では考えられなかった事態を忌む旧支配層(両班)が、敢行した奪権闘争以上のものではなかった。なぜなら、民主化運動の担い手は、旧社会の名士であっても、決して近代的な民主主義的人物ではなく、その政治感覚も政界中心で、国民への配慮の薄い政略家たちだったからである。 そのことは後に世論調査で政治家の評価が問われるとき、朴正煕がいつもその経済建設の功業によって、一般国民から圧倒的に高い評価を得ていることが示していた(インテリは独裁者だと非難しつづけていたが)。また民主化運動の旗手だった金大中氏が、権力を握ると、世界で最も非民主的と目される北朝鮮の金正日とよしみを結び、かつての応援者米国に背を向けたりしていることからも分かるであろう。 米国は「アメリカン・デモクラシーこそ世界が遵守すべき至高の政治原則」と思い込み、他者にそれを強いているが、それは別に韓国社会が必要に応じて生み出したものではない。だからそれの教条的適用は「親北朝鮮の韓国」という思わぬ産物を招来したりした。 以前書いたことだが、民主主義制度というのは、経済的にある程度発達した国(いずれも植民地支配の経験者)が、おのれに適した制度として選んだものである。アジアで曲がりなりにも民主主義を定着させた国が、この地域で唯一植民地を有した国である日本だったことも、それを裏書きしている。従って、低開発国や発展途上国にこれの実施を迫るというのは、木に竹を接ぐようなもので、いたずらに社会のきしみを大きくするばかりなのである。 新生国家が国作りに乗り出そうとするときは、大変である。建設計画のもたらす変動によって既得権益を失う階層は抵抗し、多額の資金の導入にまつわる不正事件が頻発する。古代王朝的抑圧から解放された庶民は、多年の恨みをはらすべく破壊行動に出る。政府は国作りの妨害は許さぬと取り締まりに出、それがまた騒乱を呼ぶ……ということが繰り返されるのである。 先ごろミャンマーのデモが、日本人ジャーナリストの死もあって、問題になった。だが、その語られ方は、民主化を進めようとする健気なアウン・サン・スー・チーさんとデモ隊v.s暴圧の軍事政権という構図のもと「ミャンマー 遠い民主化」(朝日新聞一〇月六日付)という、朴正煕時代の韓国に対する語り口そのままである。こういう手振りがつづくとき、また必要以上の犠牲が出るのではないかと、私などは心配する。 八八年、スー・チーさんが民主化運動のシンボルに担ぎ上げられているという報道に接したとき、私は「まずいな」と思った。彼女は英国人と結婚して欧州におり、年に一、二度母親に会いに来るとのこと。こんどの場合は母の病気見舞に来て民主化運動にぶつかり、それに合流したとのことである。新聞を一読、この運動に発展は望めないと思った。外国人と結婚し、年に一、二度帰国するという女性をリーダーにすえる民主化運動とは、社会に根を張った自生のものではない。そういう眼高手低の抵抗運動は、政府に反対して国作りを遅らせるだけだ。金大中氏のときのように、軍事政権嫌いの米国が後押しをしているのだとしたら、国内の葛藤を倍加することになるであろう。 米国は「わが仏尊し」で、自分の方式を押しつけるに忙しく、アジアの実情を真剣に見ようとしない。ベトナムで苦い目に遭い、イラクでも行き詰まって、あろうことか、北朝鮮と握手するような気振りである。だが、日本はアジアの一員である以上、もう少し現実をとくと見る努力をしたいものだ。そしてやたらに犠牲者を創らないための、政治理論を創らなければなるまい。もしそれが無理だとしたら、せめて民主主義を「他の主義に比べて、悪さのずっと少ない主義」というくらいに相対化して、不朽の原則みたいに思わないようにしたいものである。 |