一路邁進 田 中 明 (2007.10.15) 今年の八月一五日は猛暑に包まれた。館林では四〇・二度を記録したという。翌日はさらに熊谷と多治見(岐阜県)で四〇・九度という過去最高の暑さだったというから、自然もびしびしと厳しいムチを当ててくるな、という感じだった。 自然もと言ったのは、前月の二九日に行われた参院選挙で、安倍晋三氏率いる自民党が、「歴史的」大敗北を喫していたのが、頭にあったからである。何しろ自民党は六四議席を三八まで減らしたのだから、「歴史的」敗北と言われても仕方がないだろう。一人区での獲得議席など、民主党の一七に対して、なんと僅か六である。 といって私は意気沮喪し、がっくりしているわけではない。いま私は満で八一歳である。アメリカに保護管理された平和の中で、中国や朝鮮に蔑まれながら生きてきた。「生き過ぎ」てきた、というのが正しいであろう。おかげで、子供に先立たれるという逆縁の罰を受けたりもした。でも天はまだ、私を召さずにいる。日本の精神的独立を見るまでは生きていよ、と言われているのだと、今は強いて思っている。 それは敗戦の年、数えの二十歳(はたち)だった私の思いの延長である。「あのころ」の私は「日本が負けるときは、自分は戦死しているはずだ」と、思い込んでいた。ところが、自分はまだ生きているのに、日本は降参してしまった。そんなことがあるのか、という違和感に包まれながら、生きることを命じられたのだ、と思った。その思いは今なお私の胸底にうずくまっている。 だから今の私は、胸を張って生きるには無資格者だという、負い目を覚えながらも、一方では「こんな日本は日本じゃないぞ」と穴に向かって怒鳴る消極的頑固さで身を保っている。がっくりはしていない。 いい年をして、こんな告白めいたことを言うのははしたないぞ、と言われるかも知れないが、終戦記念日前後になると、つい詰まらぬことを言ったりする。 近頃の若者のなかには「えっ、日本はアメリカと戦争したんですか」とか「へーぇ、東京は爆撃されたんですか」などと言う者がいるそうである。そんな話を聞けば、もっと戦争時代のことを知らせなければと思う。しかし「戦争は悲惨なものです。戦争勢力には断固抵抗しましょう」といった啓蒙家気取りの口吻に接すると、あの戦争がいじくり回されているようで不愉快になる。「悲惨じゃなけりゃ、戦争やろうと言うのですかい」とからみたくもなるのである。 以前にも書いたことがあるが、「悲惨だから」戦争はイヤといった功利的な考えでは、本当に戦争を否定することはできない。戦時中、軍需景気で大いに潤った人を、われわれは見ている。戦後は彼らも政財界に出ては「戦争反対」を唱えている。戦争反対も便乗も、彼らの功利主義の立場では矛盾しないのである。 そのほか戦後の「戦争反対」にいかがわしさがつきまとうのは、それが辛さ逃れの「楽して得取れ」式安易さのなかで語られたり、政治臭の強い平和運動の具にされてきたからだ。アメリカの原爆には反対するが、ソ連や中国の原爆は人民のためのものだから良いなどという議論が、本気でなされていたものである。 その惰性はいまもつづいている。たとえば広島市長が今年の「原爆の日」に行なった平和宣言である。そこで彼は「日本国政府は、世界に誇るべき平和憲法をあるがままに遵守し、米国の時代遅れで誤った政策にははっきり『ノー』というべきです」と、米国を名指しで批判しながら、いま国際的にも注目の的になっている隣国北朝鮮の核――日本にとっては極めて具体的な脅威については、一言も触れていない。 安倍首相は「戦後レジームの清算」ということを訴えていたが、戦後体制とは、広島市長のようなタイプの人間を大量に生産する体制だった。広島市長も決して特別な人間ではない。革命戦士には恐くてなる気はないが、反動とも言われたくない小市民的進歩派のなかの一人なのだ。それがいまのインテリ大衆であり「赤信号みんなで渡れば恐くない」と反米を唱えたりしてきた。そんな人種だから、中国や朝鮮に平身低頭することが、そう苦ではないのだろう。だから、これはどうしても「清算」しなければならないわけだ。 * 私は本誌三月号に「覚悟すべき年」を書いて以来、今年はわが国が「普通の国」になれるかどうかの正念場になると言い、惨めな過去を克服することを訴えつづけてきた。たまたま米国が北朝鮮に対する態度を、強硬路線から宥和路線に大転換するという事態が生じたからである。これは一本立ちの好機ではではないか。 米国は北朝鮮の核保有を、もはや実質的には容認している。六か国協議で決められた核施設の「無能力化」という言葉はあいまいで、「解体」という表現を北朝鮮に反対されたため、代わりに持ち出された言葉らしい。米代表のヒル国務次官補は「不可逆的なものではない」(再び使えないようにするものではない)と言っている。ずいぶん甘くなったものだ。 強気になった北朝鮮の方は、核兵器は申告や無能力化の対象にならないという態度である。またテロ支援国家の指定を解除しなければ「次の段階」の措置には応じないとも言っている。米国の譲歩は予想以上に進んでいると見ざるをえない。 国内では、これらを不利な現象と見る向きが少なくない。日本は拉致問題にこだわっていると、米国に置き去りにされ孤立するのではないかとか、選挙に大敗した安倍政権に、これまでのような拉致に対する強硬路線を保持することができるか、などと言っている。 だが私は、そうした今だからこそ、従来の姿から脱却し「普通の国」になるチャンスだと思うのである。なぜなら日本は「拉致問題の解決がなければ、国交正常化はない」という大原則を立てている。それをしたのは安倍さんだというので、国民は安倍さんを首相に盛り立てたのだ。だからこの原則は、たとえ米国が「核交渉成功のために、拉致を持ち出さないでくれ」と言っても、破ることはできない。破ったら、安倍政権とは何の取り柄もない未熟な政権ということになってしまうからだ。 こういう状況――日本は米国の意向いかんに関わらず、自分はこう「する」と言わなければならない状況――の到来は稀有なことである。これまでの日本は、諸般の状況を勘案すれば、事態はこう「なる」という分析はしても、こう「する」という意思は打ち出せなかった。せいぜい「諸外国の動向を見て、行動を決める」というのが常で、そんな国会論議を見て溜息をついたものだ。これでは主体的な「する」の契機は見出せない。他者はそんな日本を軽んじてきた。 だが、こんどは動かすことのできない大原則がある。同伴者と意見が合わなければ、ばたばたせずに、じっと待ち、おのが道を邁進する力を蓄えればいいのだ。ここでは「する」ために「待つ」という新たな経験が積まれる。そういう今までと違った日本を見ては、他者の目も違ってくるかも知れない。 かつて中国が靖国問題などで文句をつけてきたとき、日本の経済人は取引に差し支えるというので、こちらが譲歩する「解決策」を喋々(ちょうちょう)した。でも、ああいうとき、もしこちらが一時の損害をこらえて一年ないし二年じっと「待った」ら、事態はどう展開しただろうか。現実の利害損得から、相手も考え直し合理的解決が見られたのではなかろうか。 『産経新聞』八月一〇日付は、中国の戦略関係筋の言として、昨年一〇月の核実験後、北朝鮮の金正日総書記が、ブッシュ米大統領にメッセージを送り「朝米関係を正常化し韓国以上に親密な米国のパートナーになる」と伝えた、と報じた。それを知った中国は米朝接近により朝鮮問題で米国がイニシアチブをとることを警戒し、日本との戦略的互恵関係を築くことを決めたという。昨秋から中国が対日姿勢を和らげたことも納得のいくニュースであった。 外の情勢は刻々変わっているのだ。日本向けの相手の言動に一々かかずらわって、相手の手中に落ちるよりも、百年の計に基づいた原則を立て、その目標に一路邁進すべきである。 |