経験と感覚 田中 明 (2007.6.15) 統一地方選挙の運動風景をテレビで見ていると、相変わらず候補者が選挙民のところに駆け寄って握手している姿が定番になっていた。満面に笑みを湛えて手を差し出す候補者と、我がちに握手を求めようとする選挙民――。 あれは人気俳優や人気歌手と、それに群がるミーハーの間に展開されていた風景ではなかったか、というのは八十老書生の嘆きで、テレビ時代にはそうしないとダメなのだ、と言われればそれまでである。ああしたやり方がいつから始まったのか思い出せないが、いまはとにかく選挙運動の必須課程みたいに定着している。つまり政治家のタレント化が出来上がっているというわけだ。 政治家は、世の中で「先生」と呼ばれている。だが、そのタレント化が進むにつれて、先生という言葉に含まれていた敬意は、どんどん失われているようだ。いや昔から「先生と言われるほどのバカでなし」という川柳があったではないか、と言う人があるかも知れないが、あれはまだ「先生=敬意を払うべき人」という通念があった時代の作である。一方にそういう通念があったからこそ、それを笑殺するシニスムとして、痛快がられたのである。 だが、いま政治家を「先生」と呼んでいる人には、敬意もなく、右の川柳作者が持っていたようなトゲもない。要するに、便利な言葉として愛用しているのだ。だいぶん前のことだが、双方が医者の婚約者同士が、相手を「先生」と呼び合っていた。「フィアンセを先生と呼ぶのは、なんだかおかしいな」と、あとで女医さんに言ったら、聡明な彼女は苦笑しながら「これ、便利な言葉なんですよ」と言ってから「敬称ではないんです」と付け加えたものだ。 国政を司る政治家を、ことさら貶(おとしめ)める気はないが、いまの政治家には、人気はあっても、国民の敬意を集めるような人物はいないようである。政治家のタレント化が進めば、そういうことになるのは自然であろう。人は、俳優あるいは歌手の誰それに入れあげても、だからといってその御贔屓(ごひいき)を尊敬するわけではない。 われわれは、マスコミが政治家のスキャンダルもタレントのそれも、恰好の話題として同一筆致で描いているのを見聞きしている。それに対して人は、揶揄し罵倒するが、危機感を抱くことはない。国の進路を左右する政治家のスキャンダルは、憂慮すべきことのはずだが、タレントの醜聞並みとなれば、たいしたことではないのである。 当事者である政治家先生も、武家時代なら腹を切らなければならないようなことをしても、反省の言葉を少々吐いて、あとマスコミの非難の嵐さえやり過ごせば、しゃあしゃあと生き残っていられるのである。 こんなノンシャランな風潮が瀰漫(びまん)したのは、日本という貧しかった国が、経済大国になって、想像もしなかった豊かな暮らしができるようになってきてからであろう。にわか成金というのは情けない。ちょっとした贅沢を気持よがっている間に、自分の国が米国というよその国に守ってもらっているという現実を忘れてしまい、それを天与の条件のように思う心性を育ててきた。いい気なものだ。 だから、このところ米国が、イラクにてこずり、北朝鮮と妥協の気味を見せると「アメリカだって無敵の巨人じゃない。都合が悪くなれば、いつ見捨てられるか分からないぞ」と、忽ちがたついたりしている。 では、日本をどうやって守るかと、真剣に考え出すかというと、そちらの方に心は向かわない。半世紀の安穏な暮らしになずんだ習性は、困難に立ち向かうよりも「何事も話し合いで」式の、労を惜しむ楽なお喋りを選好している。だから力を信仰する中国や北朝鮮から、バカにされるのだが、それに対して腹も立てない。平和ボケというやつである。 * 平和ボケとは、いかなる状態を言うのか――。簡単に言うと、平穏豊饒な日常に満足して、現実の困難を直視し、その打開を図るような思念を放棄した精神の状態である。要するに、緊張を欠いた寝そべった暮らしの産物なのだ。 これが問題なのは、こうした精神状態が長くつづくと、危機に感応する能力を喪失するからである。人はその育った環境のなかで、教科書からでは絶対に得られない現実に対する感覚を育てていく。環境が厳しければ、それに対応できる感覚を身につけるが、甘やかされた環境のなかでは、放恣(ほうし)に流れるだけで感覚を磨くことがない。 他者(ひと)に保護された平和のなかで、天下太平を決め込んできたわれわれは、身につけるべき感覚をすっかり鈍麻させてきた。そうしてペーパーテストに良い点をとる人間が優れた人間という評価法が幅をきかせてきた。頭でっかちだが、感覚は幼児並みという人物を輩出することになった。 たとえば、人物を見抜く眼力の低下である。かつて加藤紘一代議士は、北朝鮮のエージェントとしてその方面の人間なら誰でも知っている吉田某を、北朝鮮とのコネ作りに利用しようと、「加藤紘一事務所」の肩書きのついた名刺を持たせ、訪朝団に同行させた。それを聞いたとき、私は政治家もここまで人を見る目が鈍くなっているのかと驚いた。加藤氏は秀才の誉れが高かったそうだが、戦後の安穏な政界では、頭さえよければ、政治の鉄火場をしのいでいくための基本的なセンス(人物の鑑識眼はそのうちの一つである)に欠けていても、要職につけるものらしい。 戦前、政治家の書生をしていた老人が言うには、主人に面会を求めてきた人物に対して、彼が懐にピストルや短刀をしのばせているかどうかを、見抜くのも大事な仕事だったそうだ。 こんな違いが出てくるのは、命をねらわれる緊張のなかで過ごしてきた人と、いまや政治家も畳の上で死ねるのが当然、と思いなしている泰平時代の政治家との差によるものであろう。加藤氏には、北朝鮮との修交という業績作りしか念頭になかったのだ。 だから同氏が「日米中関係を正三角形に」などと、現実無視の彼の〝理想図〟を述べても、おかしくない。思いつきを、ちゃらちゃらと述べても、それで叩きのめされるようなことはない政界風土に生きているからである。 お隣の盧武鉉大統領は「韓国は東アジア国際政治のバランサーになろう」とおっしゃる。結構な話だが、周辺強国が耳を傾けた様子はない。そんな調整役をするには、それなりの実力がいるが、誰もそれを認めていないからだ。現実を離れた頭のなかの観念なら、いくらでも口当たりのいい話ができる。両者に共通するのは、いずれも現実を変改しようとするその構想に、心血を注いで追求するといった迫力が感じられない、ということである。 だが、世界の政治を動かしているのは、命がけの連中である。寝そべった戯言(ざれごと)では何も動かない。過去の日本人は、貧困・災害・戦争といった経験のなかで、生き残るために身もだえし、そこで感覚を磨いてきた。それは命がかかっているだけに、切実な営みであった。そうしたことに、現代人は無縁になってきた。だから日本の政治家は、中国の幹部(革命の第一世代)に位負けしてしまったのである。なぜなら、彼らは殺し殺される命がけの戦いのなかで、生涯を送ってきたからだ。 こんなことを言うと、じゃあ平和時代の人間は、もうどうしようもないというのか、と反論が出るかも知れないが、そうではない。 敗戦後、歌舞伎に未来はない、という議論があった。閉ざされた血族による役者世界の営みでは、芸術的発展は望めない、というものだった。だが、歌舞伎は亡びなかった。各俳優家は、幼少のうちから子弟に芸を仕込み、その厳しいしつけのなかで芸に対する微妙な感覚を体で(これが大事)覚えさせた。それによって、外部の人間がおいそれとは真似できぬ世界を確保・洗練し伝統を守ったのである。 「教育とは訓練と統制である」(小林秀雄)という。平和時にあっては、みずからがおのれに厳しい条件を課し、それに立ち向かう作風を創る以外にない。 |