現代コリア

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孤立を恐れるな

田中 明

(2007.4.15)

 

    前号で「今年はわが国が『普通の国』になれるかどうかの正念場になりそうである」と言った。あれは北京で開かれる第五次六ヵ国協議が開かれる半月前のことだった。そこで日本に課せられていたのは、北朝鮮に対して筋の通った態度を貫くことだった。「拉致問題の解決なくして、北朝鮮への援助はない」というのがそれだ。

 

    しかし拉致問題に対する他国の関心は低い。六ヵ国協議の参加国は「北朝鮮の核放棄に集中すべき協議に、拉致問題を持ち出すのは交渉に水を差すもの」といった態度である。日本に理解を示すと言ってきた同盟国の米国も、北朝鮮との妥協を図ろうとしていた。そんな状況のなかで、拉致問題に対し原則を通そうとするには、孤独な戦いを覚悟しなければなるまい、と思われた。

 

    そういうなかで、はたしてわが国は、孤独な戦いに耐えうるか――。北朝鮮に強い姿勢をとってきた安倍内閣の支持率は、いまや急速に落ちつつある。そんなことを、あれこれ考えていると、今年は「普通の国」なれるかどうかの正念場と思わざるをえなかったのである。

 

    その六ヵ国協議は、難航を重ねたすえ結局、前号で予想した通り、膿(うみ)を持った傷口にカサブタを張るような形の「合意」で終わった。化膿した傷は、カサブタの下で元のままである。

 

    北朝鮮が生き残るための唯一の対抗手段は、核による脅しである。だから、彼らがそれをみずから手放すはずはない、というのは衆目の一致するところだ。従って、こうした結果になるのは当然だった。今後、具体的な問題を交渉する作業部会でも、いつものように実りなきやりとりがつづくであろう。なにしろ合意文書に明記された核施設の「稼働停止および封印」も、彼らからすると核施設稼働の「臨時停止」であって、それにより重油一〇〇万トン相当が提供される(朝鮮中央通信)という成果の表現になるのだから。

 

    北朝鮮は昨年一〇月、核実験を実施して「わが国は核保有国の地位を確立した」と胸を張っている。それかあらぬか、〇五年九月の第四次六ヵ国協議で発表された共同声明では「北朝鮮はすべての核兵器および既存の核計画を放棄すること……を約束した」と核兵器をとくに明記していたのに、今回はそれを落して「すべての核計画」のみが申告の対象になっている。兵器の方は、保有を既成事実として認めてしまったからであろうか。北朝鮮は、将軍さまの勝利と思っているだろう。

 

    米国はこんどの協議を、(イラクで手を焼いているからであろう)なんとしてもまとめ上げようとした。一月には六ヵ国協議の議長国である中国を抜きに、ベルリンという欧州の地で、米朝だけの交渉を行なった。そこではテロ支援国家の指定解除や金融制裁解除が語られたようだが、そのさいライス国務長官は、強硬派のチェイニー副大統領や国防総省との協議を飛ばし、ブッシュ大統領と直談判をして交渉を進めた、とニューヨーク・タイムズが報じていた。

 

 

    まあ細かいことはさておいて、問題は今回の「合意」後に起こった日本のありようである。これまで日本の一角には、つねに「核問題の解決が最重要課題だ。そのためには他国と歩調を揃えることが大事で、拉致に固執していては、日本の孤立を招く」という主張がとぐろを巻いていた。

 

    拉致家族に対する遠慮から、それは大声にはならなかったが、今回のように米国が北朝鮮に対し妥協的な姿勢をとると、方々で表面化している。

 

    今回の「合意」文書には「米国は、北朝鮮のテロ支援国家指定を解除する作業を開始するとともに、北朝鮮に対する敵国通商法の適用を終了する作業を進める」というくだりがある。テロ支援の内容には、「よど」号事件犯人の保護や、拉致が当然含まれているはずである。だから、こういう文面にぶつかると、「孤立」論者は、それ見たことか、米国は日本を置いてきぼりにして、北朝鮮と手を結ぼうとしている、と論じ立てるのである。国会ではさっそく民主党の前原議員が、孤立論を述べていた。頼みの米国までが、北朝鮮と話し合おうという状況だのに、どうするのか、というわけだ。

 

    「そうら始まった」というのが私の印象である。わが国では、以前から世界で紛争が起こり、日本の去就が問われるとき、政府の言うことはいつも「他の国々の出方を見てから決めたい」というものだった。ある事態に直面したとき、まず周囲の顔色をうかがうというのが習い性になっているのである。そんな国がいくら経済大国になったとて、外国は尊重しない。

 

    もちろん国際政治の場で、孤立は好んで求めるものではなかろう。もし日本にビスマルクのような大政治家がいて、諸般の情勢を見極め、妥協選択の決断(!)をするというなら、それはよい。だが、現在の日本の孤立恐怖は「他の国々の出方を見てから」式の発想の延長である。自己のないそうした姿勢が、外国の侮りを招くのは当然である。

 

    これまで南北朝鮮や中国が、日本に加えた高飛車な態度は、そのことをよく示していた。北朝鮮が拉致という行動を、平気でやれたのも、そうした見くびりがあってのことだ。そういうことを積み重ねてきた戦後の日本に、われわれ国民がどれだけ情けない思いをしてきたことか。「普通の国」になるためには、そんな習性がまたぞろ出てくるのを、防がなければならない。

 

 

報道によればブッシュ大統領は「拉致問題の解決抜きにテロ支援国家の指定を解除する考えはない」と電話で安倍首相に強調したという。来日したチェイニー副大統領も、それを繰り返していた。

 

    これは安倍首相が「拉致問題の解決なしには、援助できない」というはっきりした態度をとりつづけてきたことによるのではないか。首相の態度は、これまでの日本がとりつづけてきた「他の国々の出方を見てから」という習性から初めて脱したものである。そうであったからこそ、米大統領も共助の意志を宣明したのである。

 

   だが、そんなものはリップサービスに過ぎないという向きもあるであろう。現実にこんご米国は、日本にとって好ましからぬ行動に出るかも知れない。だが、それでも日本は拉致に対する原則を守るべきである。それが孤立を招くとしても、それは外国に「意外な日本」を知らしめ、日本を見直す契機になるであろう。

 

    そうした状況に処すれば、日本もまた、これまで自分が安住していた条件を、真剣に見直すことになろう。「有事にさいしてアメリカは本当に守ってくれるか」と、日本は何かにつけて懸念の言葉を吐いているが、それは日米同盟の片務性に負い目を感じているからである。だが「相手に守ってはもらうが、相手を守りはしない」という同盟に、誰が身を挺するであろうか。有事には、互いに血を流して守り合うのが同盟である。

 

    かねがね私は、平和を守るのは、相手の意を迎えることではなく、無道なことをする相手に対しては「一戦を辞さず」という意志と態勢だ、と語ってきたが、孤立から自己を防ぐのも、孤立を辞せずという決意である。そこでは、武力の裏付けのない外交というものが無力だということを、痛感させられるであろう。「普通の国」に進む第一歩である。

 

    周囲の風向きばかりを気にして、洞窟の壁に拡大投射された孤立の幻影を恐れるのは無益である。孤立をあげつらうなら、日本は昔から孤立した存在だったのである。

 

    ハンチントン・ハーバード大教授の『文明の衝突』は、世界の文明を西欧・中国・日本・イスラム・ヒンドゥー・スラブ・ラテンアメリカ・アフリカに分類している。極東の小島国である日本が、特別な文明の保持者だというのは、日本が孤独を担いつづけてきた、ということでもある。だが、われわれの先人は、その状況によく処して、先進国の隊列に伍してきた。だから孤立をむやみに恐れることはない。それを鍛錬の契機とすればいいのである。