現代コリア

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覚悟すべき年

田中 明

(2007.3.15)

 

    今年はわが国が「普通の国」になれるかどうかの正念場になりそうである。「普通の国」になどというと、すぐまた「軍国日本になるつもりか」と言いがかりをつける向きがある。まるで日本は、ちょっとタガを緩めると、すぐ対外侵略にはしる遺伝子を持っているみたいな決めつけ方である。とんでもない話だ。われわれが望むのは、世界の多くの普通の国がそうしているように、みずからの才覚と力で、自国の平和と安全を守ろうというだけのことである。

 

    日本国憲法の前文には「日本国民は……平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した」というくだりがある。だが、国際関係は「諸国民の公正と信義」で展開してはいない。にもかかわらず戦後の日本は、そういう現実無視のお伽噺のような国際観をずっと持たされてきた。だから、もうそんな「異常」な呪縛から脱け出し、よその国並みにみずからを守ろう――というのが「普通の国」になろうという真意である。

 

    だが、日本を発育不全の異常児のレベルに留めたい国は、周辺を取り巻いているし、国内にも少なくない。元外務次官の栗山尚一氏によると「日本は過去の反省を、世代を越えてつづけるべきで、『普通の国』になってはならず、国家として『一人歩きはしない』という誓約を守りつづけるべきだ」そうだ(『外交フォーラム』〇六年一・二月号)。日本は一丁前の国になってはいけない、というのである。自国をこれほど卑しめる人が指導層にいるほど、日本は「異常な国」になっていた。

 

    だから「普通の国」になるのは、たやすいことではない。それは戦後六〇余年の情況と、そのなかででき上がった牢固とした体質を叩き壊す作業になるからである。

 

    たとえば、北朝鮮との関係だ。あの国が犯した拉致という犯罪を、日本政府は直視しようとはせず、金正日の方から事実を認められて、やっと対策に乗り出すという醜態であった。またあの国が核兵器の開発を行なっていることについては、米国の後について反対を叫んでいるだけだった。自分の意志で対抗する姿勢を立てることができず、米国の態度の硬軟に合わせて、あれこれ言ってきただけである。

 

    その米国の様子が、このところまた変わってきた。一月二〇日現在、米朝関係を見ていると、アメリカはこれまで拒否しつづけてきた北朝鮮との二国間交渉を重ね、どうやら妥協の方向に向かっているようだ。イラク問題が大変だから、極東の方は、適当なところで手を打とうというのであろう。北朝鮮の代表は、会談の結果に満足の意を示していた。

 

    アメリカがそういうつもりなら、中国もロシアも渡りに船であろう。議長国の中国は、核に固執して言うことをきかない北朝鮮の態度に面子をつぶされ、だいぶん腹を立てていたようだが、協議がまとまるものなら、その方が良いというところだろう。

 

    だが、日本には拉致問題の解決という重要課題がある。日本には、自国内で拉致という勝手なことをやられても、なすところなく過ごしてきた経過がある。その不名誉は何としても雪(そそ)がなければならないといった気運が、ここ数年やっと盛り上がってきた。首相も「拉致問題の解決なしに、北朝鮮との国交正常化はありえない」と言うようになっている。

 

    だが、他の国は違う。米国だって、北朝鮮が核問題でなにがしかの譲歩を見せたら、「よし」としようという姿勢である。北朝鮮は寧辺の原子炉の稼働を止めるという提案をしてきたそうだが、これは拉致問題で小出しに「また何人か返すから国交正常化交渉に入ろう」というのと同じ式である。米国は北朝鮮に核保有は黙認しても、その輸出だけはやらせない、というあたりで線を引こうとしているのかも知れない。

 

    北朝鮮の核攻撃が米本土に届くわけではないから、それもいいだろう。もともと米国にとって、朝鮮半島は東欧や中東と違い「面倒なことさえ起こしてくれなければ、それでいい」という重要度の低い地域だ。

 

    でも日本にとって、そういう〝解決〟は膿(う)んだ傷口にカサブタを張ってすますようなものだ。膿んだままの傷をそのままにして――すなわちいまの金正日体制をそのままにして「治療した」ことにしては、今後もこれまでと同じくトラブルの絶えぬ不安定な東アジアが残ることになろう。だから、東アジアの真の安定を確保するためには、拉致その他の没義道(もぎどう)を許さないよう抜本的な治療を図らなければならないのだ。

 

    だがそうした日本の存念を、米中露三国が理解し共有するという具合には、これまでの経過からして期待できない。だから、われわれは今後、孤独な戦いを覚悟しなければならないのである。もはや米国の尻にぶらさがって安全運転を図ってはおれない。ジカに北朝鮮とぶつからなければならない状況に立ち至っているのである。

 

    金大中事件のときも、私は同じような思いをした。それまで日本は、極東の安保といった大状況については、米国の後について、何やかやもっともらしいことを言っておればよかった。だが、金大中氏の拉致という日韓二国間だけの問題になると、自力で処理しなければならず、慌てなければならなかった。

 

    金大中事件の五年前、同じくKCIAによって自国から韓国人を拉致された西ドイツが、経済援助の中止など決然たる態度で対したのとは対照的だった。北朝鮮に通じたというので死刑まで求刑した人間を、韓国は釈放し「原状回復」に応じなければならなかった。

 

    西独のとった態度は、「普通の国」のそれである。国権が侵害されたことに対する日独の差は、米国の傘の下でエコノミック・アニマルと言われても晏如(あんじょ)としていた日本の「異常さ」を示していた。

 

 

    だから、これから日本が追求すべき道は、余念なくひたすら「普通の国」になることである。これまで日本は相手の思惑ばかり憶測して、態度を決めようとしてきた。「強く出たりしたら、北朝鮮は何をしてくるか分からない」といった調子である。おかげで日本には恐喝的態度に出ればいいのだ、と相手は思ってきた。

 

    それを改めさせるには、こんどは向こうに「日本はこれまでの日本ではなさそうだ」と思わせること、つまり日本が「普通の国」になろうとしていることを見せつけなければならない。今までのままの日本では、向こうも今までと同じ態度で対してくるだろうから、事態はいささかも改善されないのである。

 

    そのためには「諸国民の公正と信義に信頼して」おのれの「安全と生存を保持」しようというような、自国の運命もあなた任せの憲法は改正しなければならないし、「自衛隊は軍隊ではない」というウソを、いつまでもつづけていてもなるまい。また、そうした詭弁に狎(な)れきった戦後六〇年の頽落を撓め直すためには、義(ただ)しさと誇りを回復するための教育の刷新も必要だろう。そういう「普通の国」になる努力をしてこそ、北朝鮮もこれまでとは違った対応をしてくるであろう。

 

    こういうことを言うと、植民地支配をしてきた日本がなすべきことは過去の反省であり、彼に回心を求めるような資格があるか、といった「良心派」が現れるものである。だが、そうした偽善が何をもたらしたであろうか。

 

    そんなことを言っている間に、今日の北朝鮮の惨状や道徳的頽廃(ニセ札作りなどはその尤(ゆう)たるものである)、それに交渉の度ごとモノやカネをせびる浅ましさは、周知のこととなっている。世界は眉をひそめ蔑みを隠さない。

 

    「良心派」の人々が、もし植民地支配の「反省」を言うなら(かの国になにがしかの愛情があるなら)、そうした趨勢が取り返し不能になる前に、彼に苦言し「反省」を求めるべきではないか。彼らの耳に心地良い言葉だけ吐くのは、良心的に見えて、彼らの頽廃と世界の侮蔑を加速させるだけである。もし苦言を呈することによって「貴様は悪い日本人だ」と責められたら、それを一身に受け止めればいい。そしてさらに苦言をつづけることが、真の「反省」のスタートになるのである。